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筑波海軍航空隊 特攻隊慰霊碑、「悲願」の地に

5/31(水) 4:00配信

茨城新聞クロスアイ

太平洋戦争中、特攻隊員らが訓練した笠間市旭町の「筑波海軍航空隊」の歴史継承と慰霊のため、元隊員たちが18年前に建立した記念碑が、司令部のあった県立こころの医療センター(旧県立友部病院)敷地内の同隊正門付近に移転した。当初、県の許可が得られず、近隣の私有地に設置されたが、ようやく認められた。関係者は「願いがかなった」と感謝。6月3日、悲願の地で慰霊の集いを行う。

同隊は1938年、霞ケ浦海軍航空隊友部分遣隊から独立。終戦までに特攻隊員73人が戦地で命を落とすなど多くの戦死者が出た。病院の敷地がかつての本拠であり、築80年近い司令部庁舎、庁舎へ続く正門などの遺構がある。

元隊員18人を世話人とする設立委員会(現同隊友の会)は99年、記念碑を建立した。だが、考えていた場所とは違っていた。正門付近から東に約800メートル。敷地から外れた私有地だった。

当初、敷地内への設置を県に打診すると、恒久的な建造物は許可できないとの判断からかなわなかった。やむなく近隣で探していると、故橋本二朗さん(享年86歳)から私有地の無償提供の申し出があった。

関係者は橋本さんの協力に感謝。同時に同隊跡は特別な場所だった。「旧航空隊の正門や庁舎が残り、昔のままの風情であり、強い哀愁を感じていた」。特攻兵の選出に関わった故林冨士夫さん(享年93歳)=代表世話人=は建立時の除幕式で述べている。

友の会は、慰霊の集いを毎年行うなど、記念碑を守ってきた。近年は高齢化が進み、会員からは存続を危ぶむ声が聞かれる。数年前からは、記念碑を移転し、司令部庁舎と合わせて保存できるよう市に訴えてきた。

市は庁舎保存と記念碑移転への理解を求め、県と昨年から協議。庁舎保存に向けた耐震診断と利活用検討の方針が決まり、県は今年4月、記念碑も「ゆかりのある場所」として病院敷地の利用を許可した。

多くの戦友を特攻で亡くした元予備学生で、世話人だった小林金十郎さん(94)は「これ以上の場所はない」と歓迎。友の会会長で、元予科練生の高野克己さん(89)は「悲願がかなった」と感慨深げに話す。

友の会は私有地の提供を受けた故橋本さんの娘婿、斎藤清さん(67)に移転計画を説明。「本来の姿になるのだから、いいことだと思う。(義父が)健在だったら、そう言うでしょう」と快諾を得た。

移転は、市の事業で、国の地方創生推進交付金を活用し、約120万円かけた。

建立時から携わる同会事務局長で郷土史家の南秀利さん(79)は願いを込める。「記念碑は庁舎などの遺構とともに平和の尊さを多くの若者に伝えてくれるはず」 (今井俊太郎)

茨城新聞社