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「ねばならない」に苦しんでいるのは、あなただけじゃない

5/31(水) 21:02配信

STORYS.JP

「ねばならない」その言葉がいつも頭から離れず、あれもこれも、やらなくてはいけない。
家事や近所付き合い、子育てに子供たちの学校のこと、主人との関係や主人の仕事、自分の時間なんてないし。
日常生活で関わる沢山の人たち、その人たちの事を考えて、自分の事など息をついて考える暇もない。

いつからだろう。「したい」で判断しなくなったのは。
責任を果たさなくては、頑張らなくてはと自分をけしかけるけど、どこか息苦しい。
生きるのはこんなに辛いものだったのか。

…そういう生き方をしてはいませんか。
もしそうなら、それはあなただけじゃありません。
今日は、30代の女性から寄せられた投書をご紹介します。

彼女は子供の頃から学校に居場所がなく、周囲から否定され続けてきました。
「自分が悪い」と、自分のせいにすると乗り切れる気がして、自分の中に「ねばならない」のルールを重ねて生きていきます。
「こういう時はこうしなくてはいけない」そのルールブックを手にして生きてきた彼女も社会人になりましたが、ある日、人から思いも掛けない言葉をかけられます。この言葉によって、彼女の人生は大きな転換点を迎えるのでした。

ネガティブな感情が実はとてつもなくメリットになっていた私(約3000字、読了7分)

「ねばならない」
これが幼いときから私にまとわりついていた言葉でした。正義感の塊で、少しの不正も許せない。もちろん自分も、他人も。どんな人であっても。

幼い頃の私の話から始まります。もしかしたら思い違いかもしれないけれど、私は学校生活というものにあまり良い思い出がありません。小学校から中学校まで、遠足のお弁当も一緒に食べてくれる友人をいつもギリギリまで探さなくてはなりませんでしたし、授業でグループになる時も、私はどのグループに入ったら良いのだろうと、自分の身の置き場にいつも困っていました。

クラスの私以外の女子全員が鍵付きの交換日記をしていたり、身に覚えの無いラブレターを私名義にされたり、話した事も無い子から悪口が広がっていたり、小学校や中学校ではよくある事の的になるような子供でした。

自分がこれはいい! と思った事は必ず否定され、
これはステキ! と思った事も笑われました。

知らない間にどんどんと自分の言葉で話す事をやめ、いつも人の顔色を見ながら「あ、怒られなかった」「あ、無視されなかった」
「あ、話ししてもらえた」「仲間に入れてもらえた」そんな風に自分以外の軸で生きる事を選択しはじめました。

自分の主張を通しても受容されるどころか、拒否され、丸ごと人格を否定されるということを何度も幼い頃に体験していると、どうも人は、「なんだか分からないけど私が悪いのだな」という事を自分に言い聞かせてしまうのかもしれません。
そうすることで、その状況を受け入れられるように自分に言い聞かせているのでしょう。

何かあっても、理不尽なことがあっても、「私が悪いのだな」そう思う事で、全てはきっちりと丸く収まりました。
どんなに納得がいかなくても、「私が悪い」それが全てを帳消しにしてくれました。

引寄せの法則というのがありますが、まさに「私が悪い」が自分の中に育ち始めると、私が悪いと思わざるを得ない状況をどんどん引寄せていきます。そして、それがいつの間にか定着し当たり前になっていきます。

私は只々、目の前の出来事が波風立てずに穏便に収まり、もし何か人を怒らせてしまったり、嫌われてしまったりすることがあれば、それを徹底的に丸く収める事に心血を注ぎました。いつも誰かの顔色をみて、いつもその場の空気を読んで、いつも邪魔にならないように、嫌われないように、じっと息を殺すようにそんな風に生きて来ました。

「自分の意見は押し殺さなくてはならない」
「言いたい事は言ってはならない」
「相手に合わせなければならない」
「空気を読んで相手が何を思っているかを察知しなければならない」
「言う事はきかねばならない」
「自由にしてはならない」
「主張してはならない」

いろいろな「ねばならない」が、だるま式に増えて行きました。
そうすると、歳をとるにつれて私のルールを犯している周りの人間が許せなくなってきました。

言いたいことを言い、自分のしたいことを楽しそうにしている人、自己主張する人、相手のペースは考えずにしたいようにする人...もう、広辞苑よりも分厚くなってしまったであろう私のルールブックは、ありとあらゆる人を許さない元になりました。

私が悪い

この言葉によって、私は、自分が悪者にならないように自分を戒め、襟を正し、真面目に生きるようになっていきました。
社会人になると、時間は正確に、仕事もミス無く、無駄口もせず、言われた事を言われた以上に。そうやって、私なりの正しさを徹底しました。いつしか、そんな風に生きるベテランになっていました。

ベテランも板についた20代半ば、ある時、ある人にこんな事を言われました。

『あなたは、どうしてそんなに小さく生きているの?

 本当はもっと自由なはずなのに。
 正しいとか、間違っているとかそう言うのは誰かが決めたルールでしかない。
 人は、自分の生きて来た経験則で自分の価値観でモノを言う。
 今日こうだといっても、明日は違うと言う。
 今日は好きでも、明日は嫌いかもしれない。
 人のルールにいちいち振り回されているのは自分を生きてない人だ。

 自分軸で生きてない他人軸で生きている人は、信念も無ければ人生観も無い。
 だからいつまでたっても自分を信じられないし、自信もつかない、
 自分の言動に責任も持てないし、自分で人生を作ろうともしない。

 自分軸で生きない人間は、無責任だ。』

こんな風に言われました。
私は青天の霹靂。というか、腹が立ちました。猛烈に怒りが湧いてきました。怒りすぎて泣きました。

「あんたに何が分かるのよ!
 無責任?
 他人軸?
 冗談じゃない。
 みんながみんなあんたみたいに、心臓に毛が生えている訳じゃない!
 私の苦労なんて分かりもしないくせ…*$#@%」

あまりにも私が怒ったので、謝ってくれるかと思っていたら、その人が一言、

『じゃー、そのままでいれば?』

ビックリしました。こんなに怒っている私を気にもせず、目の前でこんなに取り乱している人がいるにも関わらず、至って冷静にいられるこの人を見て、私は世の中にこんな人もいるのか、と愕然としました。
カルチャーショックというのでしょうか。 私の辞書の中には「怒っている人には謝れ」「怒っている人は、とりあえずなだめろ」「怒っている人には、取り繕え」こんな事しかなかったのでとにかく驚きました。

その人は私にこう尋ねました。

『どうして自分が悪いって思うの?』 答えられない自分がいました。
「だって、私が悪いから。」 理由なき自分の答えに、私は初めて戸惑いました。

そのあとすぐ、私はその状況をまるで空を高く飛んでいる鳥が見下ろすかのように、状況を感情抜きで把握出来た瞬間がありました。
俗にいう「気づき」というものを得たのかもしれません。

(あ、そうか。私は自分の狭いルールの中で生きていたのだな)そんな事をまず思いました。

そして、いつの間にか「周りに受け入れてもらう為に自分と言う個性を殺してしまいそうやって生きて来た」そういうシナリオが見えました。その後すぐにこんな風にも思いました。

(では、周りに受け入れてもらう為には、自分を押し殺さなくてはいけないのか? 個性を出している人は周りに受け入れてもらえないのか?)

そんな事無い。私は、なんだか、解放されたような不思議な気持ちになりました。
振り返ってみれば、「自分が悪い」ということで沢山のスキルを身につけました。目の前の人の感覚や感情を手に取るように理解するスキル、雰囲気にあった行動をとるスキル、控えるべき時や話しても良い時を見極め、周りに迷惑をかけないスキル。

「私が悪い」というネガティブな感情は一見とてもバツが悪いような気もするけれど、フタを開けてみると実に沢山のスキルを私に身につけさせてくれたと、感謝できる出来事へ変わりました。

『じゃーこのままでいれば』

その一言から多分数分しか経ってないと思うけれど、私は数分前の私とは別人のようになりました。

「このままは嫌、 自分を生きて行きたい。 人の意見に左右されずに自分の意見を持ちながら、周りと調和して行きたい。私は、自分を悪いと思わずに自分を押し殺さずにお互いの個性を認め合える、そんなところで生きて行きたい」

目の前がパァッと開けたような気がしました。
ネガティブな思いは、爆発的な威力もあるし人を行動させ、時に人に学びも与える。だけど私が思ったのは、
「もう嫌な思いをしなくても学べる事は学びたい。同じ修行でも、夢中になれる、楽しい修行が良い。」と思ったのです。

もし、ネガティブな感情にまとわりつかれて、どうしようもない思いでいる方がいるならば、もしかしたら、何かスキルや気づきを得ている最中なのかもしれません。「さて、自分は何の『気づき』を与えられているのだろう」と自分を俯瞰してみるのも良いと思います。 感情が巻込まれない「俯瞰」ができるようになってから、私は自分を見つめる作業が楽になりました。

「ねばならない」 このフレーズが出てきたら、間違いなく感情がねっとりとまとわりついている、とてもネガティブな感情が隠れています。「ねばならない」をいかに解きほどいて行くか、私は自分のルールブックをいかに薄くするか、それをいま実践中です。

━━ ネガティブな感情が実はとてつもなくメリットになっていた私 / STORYS.JP より引用

「ねばならない」に苦しんでいるのは、あなただけではありません。
自分が囚われている感情を少しでも認め、俯瞰してみることができれば、大きな「気づき」が生まれるかもしれません。

最終更新:6/1(木) 14:57
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