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2002年の平壌宣言が履行されていれば

6/1(木) 16:00配信

ニュースソクラ

拉致憤る世論に屈した小泉政権

 「歴史にifはない」と歴史学者は言うが、そうならば歴史は単に過去の出来事を調べ、覚えるだけで、将来の見通しや戒めにあまり役立たなくなるだろう。「あのときもしこうしておれば」と考えることは次の失敗を防ぎ、成功への道標となりうる。

 北朝鮮が核・ミサイル開発を進め、重大な脅威となってきた現状を見れば「もし平壌宣言が履行されていれば」と考えざるをえない。

 2002年9月17日、小泉純一郎首相と北朝鮮の金正日委員長が調印した日朝平壌宣言の眼目は「双方は朝鮮半島の核問題の包括的な解決のため、関連するすべての国際的合意を遵守することを確認した。・・・朝鮮民主主義人民共和国側はこの精神に従い、ミサイル発射のモラトリアム(延期)を2003年以降もさらに延長する意向を表明した」とする点にあった。

 「核問題に関連するすべての国際的合意」が主として「核不拡散条約」(NPT)および「国際原子力機関」(IAEA)への報告、検証などを義務化した「保護措置協定」であることは論をまたない。

 北朝鮮はソ連から実験炉の提供を受ける条件として、1974年にIAEAの査察を受け入れることに合意していた。85年にはソ連から軽水炉4基を輸入する条件としてNPTにも加盟した。

 北朝鮮は90年にIAEAに「国産の5メガワットの原子炉から抜き出した少数の燃料棒から、実験用処理施設でプルトニウム90グラムを抽出した」と自主申告した。IAEAは92年に3度の査察を行ったが、プルトニウムの抽出量は90グラムより相当多いようだ、との疑いが出た。このためIAEAは93年2月に特別査察を要求、北朝鮮はこれに対し3月12日にNPT脱退を通告、3ヶ月の予告期間が切れる寸前の6月11日、米朝高官会談でNPT脱退を保留した。

 北朝鮮はNPTには残留したものの、査察には非協力的で、IAEAは翌94年3月15日に査察官を引き揚げ、国連安保理に提訴することを決めた。

 北朝鮮のNPTに対する姿勢は一貫性を欠くが、平壌宣言に調印した2002年時点ではNPTに参加していたから、核についての「全ての国際的合意を遵守する」ことは、核兵器開発を行わず、査察を受けることを意味した。

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最終更新:6/1(木) 16:00
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