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絶対取れ!44年ぶりバスケ五輪切符…JBA三屋裕子会長

6/3(土) 10:02配信

スポーツ報知

 バスケットボール男子日本代表の2020年東京五輪出場権をかけた戦いが、3日開幕の東アジア選手権(長野市)からスタートする。日本バスケットボール協会(JBA)の三屋裕子会長(58)がこのほど都内でスポーツ報知の単独インタビューに応じた。女子バレーボールの五輪銅メダリストで、サッカー・Jリーグの理事も経験。他競技と比較したバスケの魅力を語り、さらなる発展には五輪切符獲得が不可欠と説いた。(小林 玲花)

 1976年モントリオール大会以来44年ぶりの五輪出場権を目指し、いよいよ男子代表の戦いが始まる。東アジア選手権、アジア杯、W杯予選を勝ち抜き、19年W杯出場が最低条件。長く、厳しい戦いだが、三屋会長の表情は自信に満ちていた。

 「Bリーグの波が来て、みんな面白いって言ってくれた。でも、(代表を)見たらボロボロに負けてんじゃんってなるのはだめ。Bリーグの波が代表を押し上げてくれるし、代表強化がBリーグの強化につながっていく」

 Bリーグ初年度は5月に栃木が優勝し、今季が終了した。激闘を経験した選手の成長を肌で感じている。

 「田臥(勇太)君も(Bリーグの決勝で)最初に相手チーム、次にファンに感謝を伝えていた。いろんな方に支えられている思いが、みんなに出てきている。プロとしての自覚の変化にかけてみたい」

 バレーボール選手として、ロサンゼルス五輪で銅メダルを獲得。昨年のリオ五輪では、バスケ女子日本代表の試合を現地で見た。自分たちと同じように体格差のある格上チームを破り、「すごく面白かった。女子代表があんなにランクが低い(当時16位)のに、フランス(4位)に勝って(これが)勝負だなって」。

 紙一重の戦いで勝負を分けるものとは―。

 「気持ちです。私が五輪を目指した時、高く跳べばいいとか、強く打てばいいとか以上に、立ち居振る舞いとか、考え方をすごく教わった。バスケット選手たちも、気持ちを前に出して、自分たちの行動一つ一つが、バスケット界を大きく変えていくというプライドを持って挑んでほしい」

 Jリーグの理事を経験したことで、海外移籍への考え方が大きく変わった。

 「私がJリーグの理事だった時、少しずつ選手が海外に行く時期だった。理事会で『人気の選手が海外に行ったら、Jリーグは人気がなくなるじゃないですか』と言ったら、川淵さんは、それがサッカーなんだ、と。マーケットが世界か国内だけなのかで、考え方が全然違うと分かった。いま私はどんどん(海外に)出ていけばいいと思うし、サポートもしていきたい」

 バスケは昨年からリーグ戦の間に月1度、強化合宿を行い、レベルアップを図ってきた。

 「選手は“自分がうまくなれば”から、だんだんチームに伝達してくれて、リーグの底上げにつながった。でも、国内で完結していちゃだめ。今後はもっと諸外国と試合を組み、経験を積んでもらおうと考えている」

 5月3日に国際バスケットボール連盟の推薦を受け、セントラルボード(理事会)メンバーにも選任された。世界的な視点でバスケの強化策を模索するが、15年5月にバスケ界に飛び込んだ時は、バレーやサッカーとの違いに戸惑った。

 「圧倒的に注目度が低い。なんでこんなに見てもらえないんだろうって。自分が国内でやる(バレーボールの)試合はほとんど地上波放送だったのに、こんなにもハードルが高いのかと」

 Bリーグの成功を経て、バスケが野球、サッカーに続く第3のスポーツとしての地位を確立できる可能性を信じる。そのためには、東京五輪出場は逃せない。

 「Bリーグが活性化したからこそ、絶対に(五輪出場という)結果を出さないと。(千葉の)富樫(勇樹)君も『結果を残す』って言ってくれて、(責任を)感じていると思う。結果を残すことが一番の普及活動。いつまでも2番手、3番手に甘んじていることは私の負けず嫌いが許さない。近い将来、サッカーを超すポテンシャルはあるし、目指していきたい」

 ◆三屋 裕子(みつや・ゆうこ)1958年7月29日、福井・勝山市生まれ。58歳。中学からバレーボールを始め、84年ロサンゼルス五輪で銅メダル獲得。引退後は2006年にJリーグ理事、07年に日本バレーボール協会理事に就き、15年5月に日本バスケットボール協会副会長、16年6月に会長に就任。

最終更新:6/3(土) 11:16
スポーツ報知