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【コラム】佐藤琢磨のインディ500優勝に思うこと……”無欲の献身”

6/2(金) 19:53配信

motorsport.com 日本版

 先日、心に残る話がフェイスブックに載っていたのを思い出した。東京大学准教授の池内恵さんが投稿した文章の中で、どこかで見つけた話として採り上げていたものだったと思う(間違っていたらごめんなさい)。それはこんな話だ。

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 ケネディ大統領がNASA本部でトイレ掃除のオバサンに、「何をしてるの?」って尋ねたら、そのオバサン曰く「NASAが月に行くのを手伝ってるの」と答えたとか。チームはひとつということをトイレ掃除のオバサンは見事に、何のてらいもなく答えたわけです。トイレ掃除ひとつとっても、巨大なプロジェクトの中のひとつであり、それが欠けるとプロジェクト全体が行き詰まってしまう。

 佐藤琢磨のインディ500制覇を喜んだ後で、琢磨をヒーローに仕立てた何十人、何百人という多くのスタッフ達に気持ちが向かった。チームオーナーやエンジニア、メカニック達はそうしたスタッフの中心的役割を担う人達だが、その他にも大勢の顔の見えない人達が琢磨の勝利を支えた。その中には、インディカーのレースならではのこんな職業の人もいる。スポッターと呼ばれる人たちだ。

 オーバルコースで行われるインディのレースで、レースを走るドライバーに自分のポジションや前後のライバル達との差などを伝える役割の人がスポッターだ。コース全体を見渡せる場所(大方はグランドスタンドの屋根上)に陣取って、レース開始から終了まで無線でドライバーに情報を伝え続ける。その仕事を知らない人には、彼(彼女)が一体何をしているのか分からない。「そんなところで何をしてるの?」って尋ねられそうだ。その時、彼(彼女)はこう言うだろう。「我々のドライバーが勝つための手伝いをしているんです」と。

 地道な作業だ。晴れても曇っても、暑くても寒くても、トイレに行きたくても腹が痛くなっても、彼(彼女)は持ち場を離れられない。情報が途絶えるとドライバーは路頭に迷う。前を走るクルマは周回遅れかどうかも分からず、自分が何位を走っているかなどは皆目見当がつかない。そのドライバーに自分の位置を伝え、勝利までの道順を誘導するのだ。

 佐藤琢磨にはロジャー安川という優れたスポッターがいる。ロジャー自身アメリカをベースにレース活動を行っていたドライバーで、2003年から07年までの4年間インディ500に出場、最高10位入賞を記録している。そのロジャーは、2010年に琢磨がアメリカに渡ってインディカーシリーズに参戦を初めて以来、ずっと琢磨のスポッターを務めてきた。彼の琢磨優勝に関するコメントは本サイトに掲載しているので目を通して欲しいが、彼こそ琢磨の優勝を支えた影の功労者のひとりと言っていいだろう。

 しかし、インディ500は壮絶なレースだ。時速360kmという高速での周回、他車との駆け引き、クルマやタイヤへの気遣い、そしてレース中に飛び込んでくる様々な情報への対応。ドライバーは単純にドライブしていればいいという環境から引きずり出され、情報戦の中に引きずり込まれる。その環境変化に対応出来るドライバーだけが勝てる可能性のある場所を走ることが出来、すべての歯車が噛み合ったときに初めて勝利が見えてくる。

 そう考えると、琢磨の為し得たインディ制覇は、言葉ではとても表現出来ない次元の偉業だったと言える。そして、その勝利を支えた多くの要素の中に、「NASAが月に行くのを手伝ってるの」と答えたトイレ掃除のオバサンのように、無欲で献身的な人たちの気持ちがあったことが分かる。

 スポッター・ロジャー安川のような無欲の献身こそ、勝利を引き寄せた重要な要素だったと信じる。

赤井邦彦