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作家の杉本苑子さん死去 熱海在住、文化勲章受章者

6/3(土) 6:53配信

@S[アットエス] by 静岡新聞SBS

 「孤愁の岸」など、重厚でスケールの大きな歴史小説を発表してきた熱海市在住の作家で文化勲章受章者の杉本苑子(すぎもと・そのこ)さんが5月31日午前5時30分、老衰のため同市の自宅で死去した。91歳。東京都出身。葬儀・告別式は近親者で営んだ。後日、お別れの会を行う。

 懸賞小説の入選を機に、吉川英治の門下生として研さんを積み、1963年に治水工事を行う江戸時代の薩摩藩士を描いた「孤愁の岸」で直木賞を受賞。70年5月から72年2月まで本紙朝刊に「長勝院の萩」を連載した。

 86年女流文学賞、87年紫綬褒章。93年2月から4月まで本紙夕刊「窓辺」を執筆した。95年文化功労者、97年に熱海市名誉市民となり、2002年に文化勲章を受章した。

 熱海市には77年に別荘を構え、80年に居を移した。95年には文学館の設立を願い、熱海市との間で著作権を含めた全財産を死後、寄贈する契約を結んだ。



 ■貫いた「熱海愛」 旧宅開放、市民集う

 5月31日に91歳で死去したことが2日明らかになった作家の杉本苑子さん。熱海市に自宅を構えて40年近く。気取らない人柄で市民と親しく接し、旧宅を市の文化座談会に開放するなど、「熱海が大好き」を公言してはばからなかった。

 杉本さんの「熱海愛」で特筆されるのは、著作権や土地家屋、預貯金など全財産を死後、熱海市に遺贈するとした約束。文学館の設立を条件に1995年、市と調印を交わした。

 「文学的に厚みのある風土なのに、文学館がないことを残念に思ってきた。執着する物を持たずに生きたいと、10代の頃から決めていた」と会見で語った。「人生の終末を迎えるに当たり、熱海のために少しでもお役に立てれば」の言葉は、22年を経た遺言として改めて響く。

 別荘として求めた旧宅はすでに市が管理し、文学館構想の実験台として展覧や集い、文化講座に開放。人々が華やかに集まる場所「彩苑」を館名に、生前は自ら講師も務めるなどし、全国から杉本ファンが訪れている。

 「憂きはひとときうれしきも思ひ醒(さ)ませば夢候よ」。室町戦国期の虚無的な世相下で編まれた歌謡集「閑吟集」の一節を、求められれば筆にした。

 「書き慣れているから書いているだけ。私が死んだ後は色紙が氾濫して、恥ずかしいぐらい」と苦笑しながらも、「どこか虚無的な姿勢は戦中派の一つの特色。だから、あの言葉にひかれる」。

 自らの歴史観構築の出発点は先の大戦であり、「日本の歴史上、初めての敗戦という事実の中で、日本人が一斉に自己批判した。なんてばかなことをしてしまったのかと。そこが日本人の優れたところ」と語った。20歳で迎えた終戦から72年、静かに息を引き取った。



 ■市長「深い悲しみ」

 熱海市名誉市民の作家杉本苑子さん死去の知らせを受け、斉藤栄市長は「突然の訃報に接し、深い悲しみと喪失感を禁じ得ない。多くの皆さまに愛された杉本先生をしのび、ご冥福をお祈り申し上げる」とコメントした。

 生前に杉本さんが文学館の設立を願い、全財産を寄贈する契約を市と交わしていたことについて、市教委の担当者は「先生の遺志を尊重しながら、具体的な方針を検討していきたい」と述べた。

 市は杉本さんから無償で借り受け、日曜日のみ一般公開している同市西熱海町の杉本さんの旧宅「彩苑」を3~11日の午前10時から午後4時、臨時開館する。館内には記帳台を設ける。

静岡新聞社