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世界最大のプロレス団体・WWEが日本人レスラーをスカウトする理由とは?

6/3(土) 12:00配信

AbemaTIMES

 世界最大のプロレス団体・WWEへの移籍が噂されていた女子プロレス「スターダム」の人気選手・宝城カイリが、東京・新木場大会後に「スターダムを離れ長い旅に出ます」と発言。宝城は後日、海外マットへの挑戦を表明、新たな戦いの舞台はWWEと見られている。

 WWEは昨年から、スターダムの宝城カイリと同団体のエースである紫雷イオに獲得オファーを出したと報じられ、スターダムのロッシー小川社長もその事実を認めていた。これまでに何度も海外移籍の噂があったイオは、3月中旬にフロリダ州にあるWWEの最先端トレーニング施設「パフォーマンスセンター」を視察したことを認めているが、移籍に関しては明言を避けている。

 これまでWWEで活躍した日本人レスラーは数多いが、入団の経緯は自らWWE入団を希望してテストを受ける「トライアウト組」と、WWE側が興味を示してアプローチする「スカウト組」とに分かれる。

 WWEサイドから長期の試合出場のオファーをもらった最初の日本人レスラーは、立野記代と山崎五紀のJBエンジェルスだと言われている。アメリカのTV局・ESPNで全日本女子プロレスの試合映像が全米放映されたことがきっかけとなり、長い黒髪で黒い瞳の日本的なビジュアルを求めていたWWE(当時はWWF)のスカウトが視察に来て、JBをWWEに遠征させてほしいと指名。

 JBエンジェルスは1987年6月からWWEの全米ツアーに合流し、1988年1月の第1回ロイヤルランブルではWWF世界女子タッグ王座を奪取するという快挙を成し遂げた。JBエンジェルスの全女スタイルのアスリート的なファイトは、アメリカにおける女子プロレスの地位を向上させたと言われている。

 みちのくプロレスの新崎人生は、1994年5月に横浜、名古屋、大阪、札幌の4都市で開催された「WWFマニア・ツアー」に参戦し、全身に写経を施した耳なし芳一スタイルで出場。観客の度肝を抜いた。その個性的なキャラクターをWWF幹部のブラックジャック・ランザが高く評価し、すぐにWWFと契約を交わす。

 1995年1月、白使(HAKUSHI)のリングネームで怪奇派ヒールとしてWWFに登場した新崎は、1996年2月までの約1年間、ブレット・ハートと抗争するなど活躍。インターコンチネンタル王座にも挑戦している。

 KAIENTAI DOJOのTAKAみちのくは、1997年にみちのくプロレスを退団した後、メキシコやアメリカを主戦場に活動していた際に、WWFへの移籍がほぼ決まっていたグレート・サスケのテスト試合の対戦相手としてWWFに呼ばれた。その試合でWWFのオーナーであるビンス・マクマホンがTAKAの方を気に入り、WWFと契約することになる。

 1998年には年間最大の祭典レッスルマニアに日本人レスラーとしてシングルで初出場するなど活躍したTAKAは、フナキとのタッグチーム・カイエンタイでは、英語でマイクアピールが出来ないという欠点を逆手に取り、映画の吹き替えのように「口と声が合っていない」マイクアピールを行い、不思議な人気を獲得した。

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最終更新:6/3(土) 12:12
AbemaTIMES