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[インタビュー]「羅州『南平文氏』の誕生地で“高麗人のルーツ”を確認しました」

6/4(日) 7:55配信

ハンギョレ新聞

「強制移住80周年」迎え故国で展示会開くヴィクトル・ムン

 「強制移住の悲劇を思いながら、体化して描いたものです」。光州市(クァンジュシ)東区(トング)雲林洞(ウンリムドン)ウ・ジェギル美術館で1~9日、展示会を開いているカザフスタン国籍の「高麗人」画家ヴィクトル・ムン氏(67・写真)は、代表作「1937年強制移住列車」(2001)を見ながら語り始めた。 「カレイスキー」と呼ばれる高麗人は、カザフスタンやキルキススタン、ウズベキスタンなど中央アジアに住んでいる約50万人の韓民族だ。1864年からロシア沿海州に渡った朝鮮人たちは荒れ地を開墾して豊かに暮らしていたが、80年前、スターリン政権時代に強制的に移住された。当時1カ月以上に渡りシベリアを横断する貨物列車に乗せられて不毛の地へと追われる過程で、17万2千任の高麗人のうち2万人以上が死亡した。「母も強制移住という言葉は使ったことがありません。恐ろしい時代でした。1980年代後半、ミハイル・ゴルバチョフの改革・開放政策が出る前までは強制移住という言葉自体がありませんでした」

カザフスタン代表する高麗人4世画家
光州ウ・ジェギル美術館で代表作15点を紹介
「祖父が後にしたところに帰ってきて“運命”を実感」

1986年から交流し、韓国語も独学
「高麗人らが韓国語を忘れないように支援が必要」
今秋「肖像画」シリーズで大規模な展示予定

 「強制移住80周年高麗人ディアスポラの帰還」がテーマの今回の展示で、彼は対象を立体的に表現するキュービズム技法の代表作15点を披露する。「1937年強制移住列車」でも列車の屋根の外円筒がまるで韓民族が使っていた笠の形をしている。髪を結い上げた男性の姿も見られる。三角形の赤い旗は、はるかに良い土地で耕作できるようにするという約束を信じていた韓人たちの心を表現したものだ。ところが、彼の作品の中の鳥は首が切られている。彼は「これはソ連政府の虚偽の宣伝を表現するためのもの」だ説明した。また、「どこにも定着できず、わたり続ける鳥の姿は、高麗人の自画像」だと話した。

 彼は10歳の頃、家の土レンガに包丁で人の形象を刻むほど才能を見せた。隣の家のおばあさんが、雨水に濡れた彼の彫刻作品が奇怪な形に変わったことを見て、びっくりして大声をあげるほどだった。小学校教師だった母親のパク・シナイダ氏が息子の才能を見抜いて「人を驚かせず、絵を描きなさい」と言って紙を渡した。その少年は今、カザフスタンを代表する画家の1人となった。

 現在、彼の作品「峠道」はカザフスタン大統領の執務室にかけられている。カザフスタン国立美術館でも彼の作品4点が所蔵されている。今年1月、カステエフ美術館で高麗人画家としては初めて展示会も開いた。

 彼の作品は悲劇的な歴史を背景にしているが、全体的に明るく、希望的なものだ。「未知の世界」や「赤い霧」などの作品には「高麗人の精神と記憶の感情」がそのまま盛り込まれている。彼は強制移住の悲しい歴史と苦しみを表しながらも、作品で「風刺や諧謔、ユーモアを一緒に描きたかった」という。「苦しみや傷をもっと観照的に表現したかったのです。そして芸術家なら、暗鬱な状況の中でも希望を表現すべきだと思います」。彼が2004年に心臓病を患ってから描いた作品には、ろうそくが頻繁に登場する。「ろうそくは人の意識や事故を象徴します。強制移住など困難の中でも意識を守るのが非常に重要だと思います」

 彼は成長するにつれ、自分のルーツを知らないのが息苦しく感じられたという。2013年、全羅南道羅州(ナジュ)の南平邑にある「南平文氏」家の誕生説話が込められている「文岩」を見て、「なんとか自分のルーツを見つけた」ようで嬉しかった。「祖父世代は朝鮮半島からロシアに、ロシアから中央アジアに行きました。ところが私が再び光州に帰ってきたのはまるで運命のようです」

 韓国語で意思疎通は可能だが、彼は25年間カザフスタンで韓国語教室を開いたキム・ビョンハク牧師(詩人)に通訳を頼んだ。「1986年から韓国を行き来し始め、韓国語を知らないことに不便さを感じて、単語を紙に書いて覚える方法で独学しました」。彼は「韓国政府が高麗人らが韓国語を学べるように支援することが、断絶された歳月を繋ぐ最も重要な架け橋」だと強調した。

 今年はちょうど強制移住80周年だ。今秋彼は光州でもう一度展示会を開き、高麗人の歴史と誇りが込められた作品80点余りを披露する予定だ。ゴゴル・アルマトイ美術大学を卒業した後、1977~97年、国立高麗劇場主任美術家として勤務した彼は、高麗人のアイデンティティを守ってきた文化空間である高麗劇場の劇作家、故ハン・ジン(ハン・デヨン)など20人の高麗人指導者の肖像画を描いてきた。彼は「20人のうち1人だけを残している。たぶん秋の展示で、全部見ることができるだろう。この肖像画は非常に特別な作品」と話した。

光州/チョン・デハ記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)