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浮世絵に隠された暗号とは?

6/5(月) 10:44配信

TOKYO FM+

菱川師宣の「見返り美人図」、歌川広重の「東海道五十三次」、葛飾北斎の「富嶽三十六景」。私たちが一度は目にしたことのある「浮世絵」は、江戸時代に大流行した木版画のこと。江戸時代の庶民は「ワンピース」のコミックを買うような手軽さで、浮世絵を楽しんでいたそうです。今回はそんな「浮世絵」について、TOKYO FMの番組の中で詳しい方々に教えてもらいました。

◆「浮世絵に隠された暗号とは!?」
~お江戸ル 堀口茉純さん

── 浮世絵って、昔はそんなに人気だったんですか?

はい、江戸時代に浮世絵はすごく人気がありました。ただし、現在の人気とはちょっと違います。たとえば東洲斎写楽は今でこそ浮世絵師の代名詞のように言われていますが、当時は一発屋。役者の顔をデフォルメした写楽の絵に、女形の役者から「余計なことをするな」「そんなにアップで描くな」と苦情が続出したため、短い期間しか作品が残っていません。後に海外で注目されて再発見された浮世絵師です。

葛飾北斎は下積みが長かった人でした。30代まではまったく売れず、大道芸なんかのアルバイトをしながら浮世絵を描いていたんです。でも、浮世絵の道を諦めかけた頃、なんとなく描いた絵がたまたま売れて、「やっぱりこの道で頑張ろう」と思い直し、40代になってやっと売れました。有名な《富嶽三十六景》を描いたのは70代。遅咲きですが、息の長い活躍をした人でした。

《東海道五十三次》で知られる歌川広重は、幕末の浮世絵師です。でも当時、一番売れていた浮世絵師は三代目歌川豊国(歌川国貞)でした。国貞の絵はとてもポップで、まるでアイドルのブロマイド。それが当時の人にとってはわかりやすくて親しみやすかったんだと思います。後世のわれわれにとってはその良さが伝わりにくいので、広重と評価が逆転していますが、当時は国貞のほうが人気がありました。

── GoogleのCMで「歌川国芳のスカイツリー」も話題になりましたね。

歌川国芳は歌川広重と同い年の浮世絵師です。当時、浮世絵の三大ジャンルとして「風景画」「美人画」「役者絵」がありましたが、風景画といえば広重、美人画と役者絵といえば国貞と評価が定まっていました。そこで国芳が開拓した新ジャンルが「武者絵」です。「水滸伝」に出てくるヒーローたちを雄々しく描いた国芳の浮世絵は、まるで現代の少年マンガのようで、浮世絵の入門編としてはとてもわかりやすいと思います。

そして広重や国芳といった幕末の浮世絵師は、絵の中に暗号を入れたりもしました。「なんでこの景色の中にこんなものが?」という違和感を感じて読み解いてみると、別のメッセージが現れるんです。国芳はGoogleのCMで話題になった《東都三ツ股の図》のほかにも、《東都御厩川岸之図》で傘に「千八百六十一番」という番号を描き込んでいます。普通に見れば貸し傘の番号なんですが、国芳の没年が「1861年」だと知ると……ちょっとしたミステリーを感じませんか?


◆「浮世絵は儲けるために作っていたんです」
~日本美術史学者 安村敏信さん

── 浮世絵は、いつ頃からあるんですか?

もともと江戸の庶民に美術を愛でるような文化はありませんでした。しかし1657年、明暦の大火と呼ばれる大火事が起こり、江戸の町がほとんど焼けてしまいます。そして復興のために地方から大勢の職人が集められたとき、絵師の菱川師宣が、職人たちの楽しみとして商売になると目を付けたのが「絵本」でした。

製本すると高くなるので1枚刷りにして、さらにモノクロ版画なら版を1枚作れば何百枚も刷れます。題材もそれまでの劇画から、悪所と呼ばれ人気のあった歌舞伎や吉原の世界を紹介するブロマイドのようなものに。こうして人気を集めた菱川師宣たちの絵は、世の風俗(浮き世)を描いた絵ということで「浮世絵」と呼ばれました。

── でも、浮世絵といえばカラーという印象ですよね。

浮世絵がカラーになったのは明和2年(1765年)です。この頃は陰暦だったので、29日で終わる小の月と、30日まである大の月が、年によってまちまちでした。そこで今月は大なのか小なのかを知るための絵暦(カレンダー)が重宝がられたんです。この絵暦をお洒落にするために多色刷りの印刷技術を完成させたのが鈴木春信という浮世絵師でした。

鈴木春信は版がずれないよう、版板に「見当」と呼ばれるL字型の刻みを入れました。現代の印刷における「トンボ」と同じですね。もっとも理屈は簡単ですが、実際は彫り師や刷り師の高い技術があって初めて実現できたとも言えます。この技術によって多色刷りになった浮世絵は「錦絵」と呼ばれました。ちなみに刷り師が見当を外して刷ってしまうのが「見当外れ」という言葉の由来です。

── 浮世絵はそんなに人気だったんですか?

世界中を見渡しても、この時代に庶民がこれほど美術に親しんでいたところはなかなかありません。《富嶽三十六景》も《東海道五十三次》も何千枚刷られたかわからないくらいで、それだけあれば陶器の包み紙に使われることもあるでしょう。そこに描かれた浮世絵を見て、印象派の画家が衝撃を受けたなんて伝説もあるくらいです。

ただし、当時の日本人に浮世絵を芸術と考えるような発想はありませんでした。そもそも芸術という概念は明治以降に西洋から輸入されたもの。それなのに浮世絵が芸術だなんだと言うから、おかしな解釈になってしまいます。もっと素直に「こいつは儲けたかったんだ」という感覚で浮世絵を見れば、また違った面が見えてくるのではないでしょうか。

(TOKYO FM「ピートのふしぎなガレージ」5月27日放送より)

最終更新:6/5(月) 10:44
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