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【あの時・増田明美 栄光と挫折】(5)取材は足で稼ぐ…永六輔さんの金言を胸に

6/5(月) 15:20配信

スポーツ報知

 1992年に競技を離れた増田が選んだ道は、自らの経験を伝えることだった。天才少女として注目されながら、競技生活終盤は故障を抱え、引退時にはその影響で、20代(28歳)にして骨密度が65歳と診断された。「私はいい時期に選手として多くの人に出会い、多くの経験ができた」とスポーツライターに転身。さらに「選手の頃は話さないようにしていた」と、無口だったイメージを覆す冗舌な話し方で、引退直後からラジオ番組を任されるようになった。

 当時、憧れを持っていたのがタレントの永六輔だ。「ラジオだけど、話し方から匂いも感じるし、立体的に物事が伝わる」と感じていた。直接会って話を聞いてみたい。同じラジオ局で番組を持っていたため、関係者を通じて会う機会を作ってもらえた。そこで永からあるアドバイスを受けた。「増田さん、魅力的な人に会いたいなら、現場に行きなさい。話を聞いて表情を見て、五感で感じたことを話せばいい。取材は『材を取る』と書くでしょ。現場でたくさん材を取って、その匂いを伝えなさい」

 この言葉が今の増田の礎になっている。コラムの執筆やテレビの仕事などの合間を縫っては、選手の練習に向かう。女子の長距離選手は米国でも合宿を張るケースが多いが、1年に1回は海外に赴いて、選手の練習を見て、生の声を聞く。テレビで解説するための書き留めているノートには、増田が自らの足で稼いだ情報が詰め込まれている。「取材しているとき、選手や監督と話をしているときは本当に楽しい」。現役時代同様、楽しめることが生き生きできる瞬間だという。

 その中で大切にしていることは「選手に対して敬意を持つこと」だ。テレビ解説で頑張れとはあまり発さないが、それは「365日、厳しい生活を送っている。私の時代よりも国内も、世界もレベルが上がっている中で、選手は頑張る限界を超えて戦っているんですから」という思いがあるから。逆に、選手の一面が分かる私生活の情報を挟むことで、よりファンに陸上を楽しんでもらうことを心掛けている。

 今年4月からはNHK連続テレビ小説「ひよっこ」でナレーションに挑戦。教師役で出演もした。過去に、テレビドラマにも出演したことがあるが「選手を見ていると自分もチャレンジしたくなる。荷が重い仕事と思っても、挑戦しないと、どうなるか分かりませんから」。増田は今、第3の“現役生活”を謳歌(おうか)している。(遠藤 洋之)=敬称略・おわり=

 ◆無名だったQちゃんに声

 2000年シドニー五輪女子マラソン金メダルの高橋尚子さん(45)は、増田との出会いを今でも鮮明に覚えている。1995年の国際千葉駅伝。リクルート入社1年目で、まだ結果を出していない無名の存在だったが、大会前日の会見場で「Qちゃん、よろしくね」と声をかけられたという。

 「当時は雲の上の存在だったので、増田さんから声をかけられて、うれしかった」。現在では増田と一緒に解説する機会も多いが「私も増田さんのように温かさが伝えられたら」と語った。

最終更新:6/5(月) 15:20
スポーツ報知

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