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角松敏生のインスト作品が異例のランクイン!バブル時代の“制作秘話”公開

6/6(火) 11:00配信

東スポWeb

 シンガー・ソングライターの角松敏生(56)がリリースしたインストゥルメンタルアルバム「SEA IS A LADY 2017」が、異例のヒットで音楽業界を騒がせている。日本屈指のギタリストでもある角松の30年前のリリース作品をリメークしたもので、オリコン初登場4位(5月22日付)と、インスト作品としては異例のランクイン。本紙のインタビューに応じた角松は、バブル時代の“制作秘話”を明かした。

 ――なぜインスト作品をリリース

 角松:もともとツアーのメンバーを決めてから作品作りをしている。今回のメンバーを見て「インストのアルバムを仕掛けたら面白いかな」と思ったんです。そしたら、思いのほか反応がいいんですよ。

 ――30年前のインストアルバム「SEA――」をリメークした

 角松:過去に対する「落とし前」という感じ。当時は自分のギターの演奏力にも不満があった。プロデューサー的な立ち位置で、僕はいいところどりで演奏しているのでカッコ良くは聞こえていたが、ギタリストとしては後ろめたさがあった。当時はそんなことは言いませんでしたけどね(苦笑)。この30年でスキルも表現力も格段に上がり、いい作品になったと思います。

 ――歌もの(歌詞の入った楽曲)の新曲は出さない?

 角松:はっきり言えば、まだ勇気がないかな。

 ――理由は

 角松:最近はCDとライブの関係が逆転しているのも一つ。僕らの世代は、アルバムを作るとなれば一世一代の作業だった。ライブはその作品を売るためのプロモーションツールだったが、最近ではライブが主。そうなるとCDの中身なんてあまり意味がなくなり、コストをかけても損するだけという時代。そういう意味で自分が納得する作品作りをするのは怖いという部分もある。だから今回の「SEA――」が盛り上がり、自分の中でも歌ものを作る気持ちが盛り上がっていけばいいかなと思ってます。

 ――角松さんは80年代からコンピューターを使って音楽制作していた

 角松:マッキントッシュプラスを使い始めたのが1985年です。その後に小室哲哉君とかも出てきたのかな。当時はコンピューターを使い四苦八苦して実験していた時代。ワクワクもしたし、ちょっとのことで乗り遅れた。常にアンテナを張りめぐらせていた。その時代にしのぎを削っていたので、全然キャリアが違いますよね。携帯電話を買ったのがバブル時代の89年ぐらいだったかな。

 ――当時は大きい電話ですか

 角松:それね、違うんです。あの平野ノラさんのネタはウソですよ! あの大きい電話は80年代の頭ぐらいで、バブルの時はあんなの持ってるやつはいなかったからね。平野さんがネタとしてデフォルメしたんでしょうけどね、時代考証が間違ってる(笑い)。

 ――コンピューターの発達で楽曲制作が簡単になった部分もある

 角松:はっきり言えば、誰でもアーティストになれる時代。ただ一つ言えるのは、アマですごい技術があっても「ふーん、すごいね」で終わっちゃう。ただプロが一音、ピーンと弾いただけで心に「ううっ」とくるものがある。音楽ってそういうもの。コンピューターが作り上げてきた音楽で歴史的に残ってるものはごく初期のものが多い。時間的な耐久力がないなと思います。

 ――最後に今作はどう聞いてほしいですか

 角松:この「SEA――」に限ってはインストというのもあるし、「流し聞き」してください。夏に車中で流して「気分いいな」というだけで十分。楽しんでもらえればいい。ただ間口は広く作ってますが“深さ”もしっかり作っている。ファンには「角松、しっかり作っているな」という感じに仕上がっています。

☆かどまつ・としき=1960年8月12日生まれ。東京都出身。1981年6月にメジャーデビュー。シンガー・ソングライターとして活動するかたわら、杏里の「悲しみがとまらない」や中山美穂の「You’re My Only Shinin’ Star」など、プロデューサーとしてもヒットを飛ばす。1998年長野冬季五輪の閉会式でヒット曲「ILE AIYE~WAになって踊ろう~」(長万部太郎の名義で作詞作曲)を日本人で初めて生歌歌唱したことでも知られる。

最終更新:6/6(火) 11:00
東スポWeb