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<老いと向き合う6>ささやかな夢 部屋借りて、顔見ることできたら

6/6(火) 3:20配信

埼玉新聞

 約7年前の晩秋。水畑和敏さん(66)は埼玉県の大宮駅西口デッキにいた。手持ちは500円しかなかった。電車が運行している時間帯は駅構内で寒さをしのげたが、深夜帯は「寒くてつらかった。ホームレスになるしかなかった」。

 建築関係の会社の寮で生活しながら、日給制で旋盤(せんばん)などの仕事をしていた。だが、59歳のときに突然解雇された。体力はあったが、腰を悪くして足が思うように動かなくなった。「(給料は)もう払えない」と一方的に通告され、寮を追い出された。

 さいたま市内で実弟が暮らしているが、頼れなかった。弟にも家族がいる。「迷惑は掛けられない」。頼る当ても行く当ても、なかった。

 大宮駅の周辺で3カ月ほど路上生活を送った。季節はすっかり冬になっていた。

 ある日、男に声を掛けられた。「生活保護を受けて宿泊所に来ないか」。無料低額宿泊所の職員を装った貧困ビジネスだった。「寒かったから」。男の申し出を受け入れ、県内の宿泊所に入った。約12万円の生活保護費は没収され、毎月5千円だけ支給された。部屋は3畳ほどだった。

 実家は農家だった。その話を周囲にすると、今度は施設の職員に車で新潟県まで連れて行かれた。新潟の宿泊所に寝泊まりしながら、水田で米を作らされた。冬は雪かきを強いられた。それでも月に5千円しかくれなかった。「強制労働」だった。

 地元の市役所に相談した。施設への不満よりも、故郷の埼玉に戻りたかったから。埼玉県内のNPO法人が引き受け手になり、埼玉に戻って来ることができた。NPO法人が提供するアパートで生活保護を受けながら暮らせるようになった。

 1950年にさいたま市内で生まれ、地元の小、中学校を卒業後、建築関係の仕事を30年以上こなしてきた。

 所帯を持ったこともあったが、妻とは15年以上前に別れた。子どももいた。長男と長女。長女は幼稚園の頃に児童養護施設に預けた。「働いても面倒を見られなかった。(経済的に)育てられなかったから」

 長男が高校生になる頃までは連絡を取っていたが、それ以来、便りが途絶えた。今はもう連絡先も分からない。

 子どもは2人とも30歳を過ぎた年齢になる。「もう結婚してるんかな」。孫がいてもおかしくない。「会いたいけどさ…。迷惑ばかり掛けてきたから」と、うつむいてぽつりと言った。

 これからの願いはささやかなものだ。「できれば弟の家のそばにアパートを借りて、畑でもできたら。たまに弟の顔を見ることができたら、それでいい」(文中仮名)

(第1部おわり)

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最終更新:6/6(火) 3:20
埼玉新聞