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ベイビーフェイス、若手ソングライターへのアドバイスやホイットニー/ボーイズ・II・メンについて語る

6/7(水) 18:05配信

Billboard Japan

 ケネス・“ベイビーフェイス”・エドモンズは、【グラミー賞】を11回受賞しており、米ビルボード・ソング・チャート“Hot 100”TOP10ヒットを47曲も作っている。 2017年6月15日の【ソングライターの殿堂】入りを前に、故ホイットニー・ヒューストンやボーイズ・II・メンへ提供した世界的なヒット曲の誕生秘話や、最近一緒に仕事をしているアーティストについて、そして新人ソングライターへのアドバイスを彼に聞いた。

◎あなたはホイットニー・ヒューストンと会う前に彼女の1990年のヒット曲「アイム・ユア・ベイビー・トゥナイト」を書いています。どのような経緯だったのですか?

「アイム・ユア・ベイビー・トゥナイト」はホイットニーのために書いた初めての曲だった。彼女に初めて曲を聴いてもらって、気に入ってもらえたあの瞬間はすごかったな。緊張はしなかった。楽曲の行き先を決めることに関して僕は自尊心がないんだ。誰かが(自分が書いた曲を)気に入らなくても僕は構わないし、気に入ってもらえるものを探しながら、自分がどうやってそのプロジェクトに加われるか理解するまで努力し続ける。でも彼女に気に入ってもらえたことはすごく嬉しかったよ……ホイットニーの場合、何を気に入って何を気に入らないかが予測できないんだ。その時点ではまだ会ったことがなかったけれど、彼女はとても正直だってことを学んだよ。
 
◎あなたにとって特別な意味を持つ楽曲は他にありますか?

ボーイズ・II・メンの「エンド・オブ・ザ・ロード」。あれは彼らを念頭に置いて書いたんだけど、完成した時にいい曲だと思ったから自分で取っておこうかと思ったんだ。でも彼らの声で歌われるイメージが消えなくてね。『ブーメラン』のサウンドトラック用だったんだけど、”フィリー・インターナショナル”みたいなヴァイブで、彼らはフィラデルフィア出身だったし。
曲の完成間近に(共同作者の)ダリル(・シモンズ)を呼んだ。当時アトランタの自宅マンション近くに曲を作るための家を借りていたんだ。マンションではいつも音を出すと苦情が来るから作曲できなくてさ。ダリルを呼んで、いよいよ完成ってタイミングでL.A.(・リード)も来た。でも最初からフィリー・グルーヴを生み出すという方向性は明白だったんだ。だから全員でフィラデルフィアに行って4時間くらいでレコーディングした。それしか時間がなかったから、一発勝負だった。すごく良くできたって僕らはみんな思ったよ。でも誰もそれが彼らの代表曲になるとは思っていなかった。素晴らしい曲だとは思ってたけれど、彼らもまだあの頃は比較的駆け出しだったしね。

◎現在曲を作っている、またはプロデュースしているアーティストは誰ですか?

最近チャーリー・プースと曲を作ったよ。ブルーノ・マーズのこの前のプロジェクトでも一緒に曲を作ったし、タイ・ダラー・サインとも曲を書いた。今はジョニー・マティスとスタジオ作業中なんだ。だからどこにでもいる感じだね。ジョニーはコンテンポラリー・ソングブックのようなアルバムを作ってるんだ。(R・ケリーの)「アイ・ビリーブ・アイ・キャン・フライ」とか、(ジョシュ・グローバンの)「ユー・レイズ・ミー・アップ」とか、アデルの楽曲もいくつか入る。彼はもうすぐ82歳になるというのに、素晴らしい声をしているんだ。僕が恵まれているのはそういうところ。過去の仕事のおかげで……ホイットニー・ヒューストンからバーブラ・ストライサンド、アリアナ・グランデのようなアーティストたちまで、それがこの仕事をずっと楽しく、面白くしてるんだよ。

◎今の若いソングライターに大事にしてもらいたいことは何ですか?

素晴らしいメロディーと歌詞を作るという典型的なことはもちろんだけれど、一番大事なのは曲の一つ一つに時間をかけるということと、それを全部捨てて一からやり直さなければならないということを忘れないことだ。それを怖がってはいけない。先に進めなくなるほど一つのアイディアに固執してはいけない。あと自尊心を持ち込まないようにしよう。まずは楽曲が勝つべきだ。
未来は明るい。ジャンルは消え、音楽だけが残る。それだけだ。曲作りのセッションに参加して、「さあ、何を書こうか?」って言うことを想像してごらん。なんでもありだ。

最終更新:6/7(水) 18:05
Billboard Japan