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土浦航空隊 10日慰霊の集い 空襲の記憶 後世に

6/9(金) 13:00配信

茨城新聞クロスアイ

第2次大戦末期の1945年6月10日、現在の阿見町と土浦市にまたがってあった土浦海軍航空隊で米軍の空襲があり、281人の予科練習生が死亡した。周辺を含む同町全体では住民も犠牲になり死者は374人に及ぶ。空襲から72年を迎える10日、市民団体が慰霊の集いを同市で開く。市民団体では「歴史的事実を多くの人に知ってほしい」と参加を呼び掛けている。

土浦海軍航空隊は、既にあった霞ケ浦海軍航空隊の敷地内に、予科練生の教育を担当する部門として40年11月に発足。全国から集まった予科練生が航空機訓練などを行っていた。

空襲は終戦間際の45年6月10日午前7時37分に発生。B29爆撃機の30機編隊が約1時間にわたって、主に土浦航空隊を標的に250キロ爆弾を落とし、予科練生が身を隠した防空壕(ごう)を爆弾が直撃したため多くの若者が亡くなった。この日は日曜日で、予科練生の家族ら面会人でにぎわっており、一般市民の犠牲者も出た。

死者を慰霊しようと、航空隊に隣接する法泉寺(土浦市大岩田)敷地内に51年、遺族らによって慰霊碑が建立され、その後も別の慰霊碑が増設された。

集いは市民団体「土浦の戦争惨禍を記憶する会」が4年前から、「空襲の記憶を後世に残そう」と開始。10日は午前8時50分から慰霊碑の前で開き、慰霊を行うほか、空襲の事実や戦争の悲惨さについて語り合う。

代表の福田勝夫さん(73)=土浦市神立東=は「優秀な若者たちが何も知らされずに教育され訓練を受け、死んでいった。空襲の事実を忘れないように記憶することが大事。多くの市民に参加してもらえれば」と話している。

当日は午前11時から法泉寺で法要が行われるほか、阿見町廻戸の予科練平和記念館が無料開放される。(綿引正雄)

茨城新聞社