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ロンドン五輪で日本にメダルもたらしたバレー美女・迫田さおりが引退 美しいバックアタックはもう見られない

6/10(土) 16:30配信

産経新聞

 バレーボール女子日本代表として五輪2大会に出場した迫田さおり(29)が5月30日、今季限りでの現役引退を発表した。代名詞となった美しく鋭いバックアタックを武器に、2012年ロンドン五輪では28年ぶりの銅メダル獲得に貢献。所属先の東レや代表で長く一緒に戦い、3月に引退した木村沙織さん(30)に続き、大きな輝きを放った好アタッカーがコートを去った。

 「誰もが入れる訳ではない東レアローズに入団でき、素晴らしい環境で思う存分バレーボールに取り組めたこと、心から感謝しております。私の事を思い、時に厳しく、時に自分の事かのように一緒になって喜んでくれたスタッフの方々。切磋琢磨し合い、一緒に戦い続けてきたチームメイト。そして、いつも熱い声援で背中を押し続けてくれたファンの方々。沢山の方と出会えた事、本当に嬉しく思います」

 国内シーズンを締めくくる全日本男女選抜大会を終えた後の5月30日、迫田は東レの公式サイトで現役引退に関してこうつづった。文面の大半は感謝の思いに割いていた。プレミアリーグ開幕前に引退を表明したことで、リーグ最終戦に多くのメディアが詰めかけた木村さんとは対照的で、静かすぎる終止符となった。控えめな性格の迫田らしい選択である。

 鹿児島西高から2006年に東レに入団。高い打点から放つスパイクを武器に、10年に初めて代表入りを果たした。12年5月のロンドン五輪最終予選では、負ければ予選敗退の危機にあったキューバ戦で途中出場ながら20得点し、フルセット勝ちに貢献した。

 韓国とのロンドン五輪3位決定戦では、相性のよさを買われて先発起用されると、両チーム最多の23得点をすべてスパイクでたたき出し、1984年ロサンゼルス五輪以来の表彰台に導いた。サポートメンバーとしてチームに帯同しながら、家庭の事情で帰国した同学年の石田瑞穂(29、デンソー)の思いを胸に刻み、自身のユニホームの下に石田のユニホームを着てプレーしたことも話題になった。

 ロンドン五輪後は右肩痛に苦しんだが、肩への負担を減らすフォームや助走の改善に取り組み、プレー幅を広げた。ただポジションの重なる左利きの長岡望悠(25、久光製薬)の台頭もあり、代表での出場機会は徐々に減っていった。

 セッターとの呼吸が合わずに苦しんでいた15年ワールドカップのころ、少し落ち着いて話を聞く機会があった。「自分がすごく歯がゆい。いろいろ試行錯誤してもらい、セッターはしっくりいかない中でもトスを上げてくれる。気持ちは伝わるので、しっかり点数につなげたい」。一方で「プレーの1点で貢献できなくても、違う1点で少しでも貢献できたらいい」ともどかしさを胸にしまい、大会中は懸命に声を出してチームをもり立てる姿が心に残った。

 腐らずに努力を重ねたベテランが再び存在感を発揮したのは16年5月のリオデジャネイロ五輪最終予選。フルセットにもつれたタイとの大一番は最終セットに最大6点差をつけられたが、途中出場で両チーム最多の24点を決めた迫田がマッチポイントも豪快に打ち抜いて逆転勝ち。またしても五輪切符を引き寄せた。

 自身の愛称「リオ」と同じ呼び名のついた2度目の五輪を終えると、去就を決めかねていた木村さんに東レでともに戦いたい意思を伝え、思い出深い最終シーズンを過ごした。リーグ最終戦後には「沙織さんとずっと仲間として戦えたことがうれしい」と涙を浮かべた。

 酸いも甘いもかみ分けたバレー人生。リオ五輪メンバー選出後、競技生活の転機について聞かれた際、迫田はこう答えた。「これっていうのはないが、すごくありがたいことに、スタッフだったり、選手だったり、自分が腐っていきそうなときに支えてくれる人が現れてくれた。周りにいる人たちのおかげ」。華麗なバックアタック以上に、謙虚な姿勢が印象的だったメダリスト。新たな出発を心から応援したい。(運動部 奥村信哉)

最終更新:6/10(土) 16:30
産経新聞