ここから本文です

世界66位クエルテン優勝以来のサプライズ、47位オスタペンコが決勝へ [全仏テニス]

6/10(土) 17:01配信

THE TENNIS DAILY

 フランス・パリで開催されている「全仏オープン」(5月28日~6月11日/クレーコート)の大会14日目、女子シングルス決勝前に----。

どこからともなく現れたオスタペンコ、彼女は「速く打ち、速く歩き、速く話す」 [全仏オープン]

 もしエレナ・オスタペンコ(ラトビア)が土曜日に行われる全仏決勝で勝ったら、彼女は偶然にも、彼女が生まれた日以来20年間起きていなかった、ある偉業をやってのけることになる。それは最初のツアー・タイトル獲得が、なんとグランドスラムになる、ということだ。

 最後にそれをやったのは誰か? 1997年6月8日、オスタペンコの20歳の誕生日にロラン・ギャロス(全仏)で、男子シングルスの優勝杯を獲得したグスタボ・クエルテン(ブラジル)である。

 ノーシードで世界ランク47位のオスタペンコは、これまで一度もグランドスラム大会で3回戦を超えたことがなかった。その彼女が今大会で、これ以上ないというほどの驚きとともに決勝進出者となったのだ。かといって、ほかにこのようなケースがまったくなかったというわけではない。

 ビッグサーブの威力を弱め、強烈なストロークの破壊力を吸収し、ハードコートやグラスコートとは違ったフットワークを要求するクレーコートは、まるで“力を均等化する装置“のような役を果たす。そのクレーで行われる全仏は、最後の週末に予想外の結果を生み出す傾向をかねてから持っていた。

 例えば、1997年のクエルテンは世界ランク66位に過ぎなかった。彼はその後、さらに2つの全仏タイトルを獲得し、国際テニスの殿堂のメンバーに選ばれた。

 クエルテンは今、20年前のことを思い出し、一試合に勝つことを願いながらロラン・ギャロスにやって来た、と明かす。

「一勝で十分だった」とクエルテンは言った。「どのグランドスラム大会でも、2回戦を超えたことがなかった。当時は、まだ3度しかグランドスラム大会に出たことがなかったんだ。だから、それは通常想像するような出来事ではなかったんだよ」。

 彼の勝利から20年の間に、アンドレイ・メドベデフ(1999年)、マルティン・フェルケレック(2003年)、マリアノ・プエルタ(2005年)らが全仏で準優勝した。そしてアルベルト・コスタ(2002年)、ガストン・ガウディオ(2004年)は、優勝さえ成し遂げたのである。

 シモナ・ハレプ(ルーマニア)に対するオスタペンコのタイトルマッチに先立ち、グランドスラム大会でどこからともなく現れた女子の決勝進出者の名を見てみよう。

●2015年全米オープン、フラビア・ペンネッタ(イタリア)とロベルタ・ビンチ(イタリア)

 このふたりのどちらもが、一度もグランドスラムで決勝に至ったことがなかったが、それはもっとも注目すべきことではない。ふたりは子供時代からの友達で、同郷の出身者であり、ダブルスパートナーで、10代の頃にはルームメイトだった。

 1975年にWTAランキングが誕生して以来、トップ20外の者同士がグランドスラム大会の決勝に至ったのは、これが初めてだった。

 33歳のペンネッタは、1968年のオープン化以降の時代で、初めてグランドスラム大会に優勝したときの年齢がもっとも高い選手となった。そして彼女は優勝と同時に、コート上で引退を表明した。

 32歳のビンチの決勝進出劇の中でもっとも驚くべきことは、彼女が準決勝でセレナ・ウイリアムズ(アメリカ)を倒し、セレナの年間グランドスラム(同一年に4つのグランドスラムで優勝すること。この全米が4つ目だった)の達成を阻んだことだった。

●2004年全仏オープン、アナスタシア・ミスキナ(ロシア)

 ミスキナは第6シードだったが、彼女がグランドスラム・タイトルを獲得する最初のロシア人女性になると信じる理由は、ほとんどなかった。この時点での彼女の全仏での成績は1勝4敗だったのだ。それでも彼女は決勝までの道のりでビーナス・ウイリアムズ(アメリカ)やジェニファー・カプリアティ(アメリカ)を倒し、マッチポイントをしのぎさえした。

●2007年、2013年ウィンブルドン、マリオン・バルトリ(フランス)

 オープン化以降の時代で、ノーシードの選手がウィンブルドン決勝に進んだことは一度もないが、バルトリはそれに近い決勝を何度か戦った。2007年、第23シードのビーナスに決勝で敗れたとき、彼女は第18シードで、これは女子決勝進出者ふたりのシードが、大会史上もっとも低かった決勝となった。

 そして2013年のウィンブルドン決勝で、第23シードのサビーネ・リシツキ(ドイツ)を破ったとき、バルトリは第15シードだった。また、グランドスラム大会で一度も優勝したことのない者同士がウィンブルドン決勝で対決したのは、オープン化以降の時代でこれが2度目に過ぎなかった。

 バルトリの2013年のウィンブルドン・タイトルは、ある2つの理由から際立っている。それは彼女にとって47度目のグランドスラム大会であり、女子選手において、グランドスラムで初タイトルを獲得する前にプレーしたグランドスラム大会数としては最多記録だった。

 またオープン化以降の時代で、フォア、バックともに両手打ちの女子選手がウィンブルドンで優勝したのは、これが後にも先にも初めてのことだった。

●2010年全仏オープン、フランチェスカ・スキアボーネ(イタリア)

 全仏1回戦で敗れた翌年、第17シードのスキアボーネは全仏の決勝に進出した----そして、それに勝った初のイタリア人女子プレーヤーとなった。彼女はまもなく30歳になろうとしているところだった。それは彼女が出場した39度目のグランドスラム大会で、彼女は全仏優勝の2日後まで一度もトップ10に食い込んだことはなかった。

●2016年全米オープン、カロリーナ・プリスコバ(チェコ)

 プリスコバは、それまで出場した17度のグランドスラム大会で、一度も3回戦を超えたことがなかったが、2016年9月の全米準決勝でセレナに対し番狂わせを演じ、決勝でアンジェリック・ケルバー(ドイツ)に敗れた。(C)AP (テニスマガジン/テニスデイリー)

Photo: PARIS, FRANCE - JUNE 08: Tennis Player Gustavo Kuerten attends the French Tennis Open 2017 - Day Twelve at Roland Garros on June 8, 2017 in Paris, France. (Photo by Stephane Cardinale - Corbis/Corbis via Getty Images)

最終更新:6/10(土) 17:01
THE TENNIS DAILY