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名審判に捧ぐ「フレー、フレー、郷司!」

6/11(日) 16:45配信

東スポWeb

【越智正典「ネット裏」】4日、明治大駿河台キャンパス、グローバルフロント17階ラウンジで、アマ野球の審判、規則委員、郷司裕(故)の殿堂入りのお祝いの会が開かれた。氏は高校野球では選抜決勝担当16回、夏15回。1969年夏の、あの松山商対三沢の決勝戦延長18回と翌日の再試合の球審を務めている。

 会は駿台倶楽部(OB会)前会長坂本哲郎、いつも礼儀正しい現副会長小林正三郎の苦心の開催である。みんなに知らせると上京する関係者が全国にいる。が、シーズンたけなわ。迷惑がかかる。開催は冬まで待たねばならぬ。それでは家族にすまない。二人は歓談するのに話が近いラウンジを選んだ。審判の人選は事情をよく知る指導担当吉川芳登に任せた。吉川も苦慮した。

 受付に東京六大学明大先輩理事高森啓介。都高野連会長堀内正(日大三高校長)が丁寧に記帳していた。ことし選抜決勝戦の球審を務めた戸塚俊美。岐阜商、慶大、あの快速球。「終戦後、引き揚げて来られたのは母のおかげです」といつも言っている清沢忠彦。首都大学、東京都高野連審判長、西尾由紀治。日大桜丘が第44回選抜でジャンボ仲根を擁して優勝したときの捕手、現リトルリーグ審判常田昭夫。星野仙一の同級生、星野の殿堂入り祝賀会の準備に忙しい小菅隆夫…。記帳87人。談話室では元国際審判、バルセロナ五輪も担当の布施勝久が、彼の審判講習会をずぅーと受講してきた深沢昌美ら上京した長野県8審判とニコニコしながら語り合っていた。

「甲子園大会中は、審判は旅館に缶詰。もちろん禁酒。大会が終わり帰京するとき、梅田に着くと郷司さんが全力疾走でビールを買ってきて、山川脩司、鈴木康夫、西大立目永、それに私に“飲め飲め、どんどん飲め”。全員新幹線が京都に着く前にはバターン、キューでしたよ」

 土井淳駿台倶楽部会長の挨拶。明大野球部長井上崇通教授の祝辞。前記坂本が乾杯の音頭。郷司とは明治中学以来の仲である。「出会ったときはボンボンでおっとり…。当時明中の監督だった島岡御大が凛烈な男に育てたかったのでしょう。彼に“審判をやれ”」。気をつけの姿勢の元明大監督川口啓太がときどき目を閉じていた。面影が去来するのであろう。山崎紀典は洒脱だった。苦労した男がこうなれる。明治高が58年夏、東京決勝で早実を倒したときに王貞治を打った堂々たる捕手、62年秋明大主将、球ひろいを大事にして優勝した宮沢政信は終始寡黙であった。

 郷司夫人の希望で、おひらきに校歌斉唱。明大1年生マネジャー、小栗未琴がチアテック。美しく手を振った。窓の外に青い空が広がっていた。郷司は担務後の緑陰が好きだった。歌い終わるとエール。「フレー、フレー、郷司!」。63年卒、捕手村山忠三郎が大きな声で小栗に「ご苦労さま!」と結んだ。=敬称略=(スポーツジャーナリスト)

最終更新:6/11(日) 16:45
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