ここから本文です

<岐阜市有地>名義人不明廃屋 取り残された“昭和”の一面

6/11(日) 17:51配信

毎日新聞

 JR岐阜駅の西約1キロにある岐阜市松原町。東海道線の高架下付近に約1100平方メートルの市有地がある。市はここに残る3棟の廃屋の名義人3人に土地の明け渡しと損金の支払いを求め岐阜地裁に提訴する方針を決め、議案を6月市議会に提出した。しかし3人は行方不明になっており、勝訴しても市は公費で建物を撤去せざるを得ない状況だ。周辺を取材し、見えてきたものとは--。【高橋龍介】

 土地は1966年に市が取得した。その際、土地にはすでに建物があり外国人住民が生活していた。その後、76年に外国人の自治組織との間で1126・78平方メートルの市有地の賃貸契約を結んだ。「古い話で、換地により取得した土地らしいということのほか取得の経緯は不明だ」と市の担当者は話す。

 3人のうち2人は46年2月に共有名義で建物2棟を登記したことが確認されている。45年7月の岐阜空襲の7カ月後だ。敗戦直後の混乱期に、家を失った人々が焼け跡にバラックを建て住み始めた。そして土地の管理に手を焼いた以前の地主が市と話し合い換地となった可能性がある。

 土地取得後約10年の調整期間の後、遅くとも76年には一本化された自治組織が市と年間60万~70万円の賃料で賃貸する契約を結んだ。家のない同郷人の相談を受け、組織がこの土地を紹介した可能性があり、最盛期には約10世帯が暮らしたとみられる。

 彼らは地代を組織に支払い、組織は市に賃料を支払った。しかし住民の入れ替わりや、無人になる家も出始め、3件の家がいつから無人化したかはわからないという。

 家賃の収入が途絶え、組織は自腹で市に賃料を支払うこともあった。しかし「平成10年代後半から支払いが滞り始めた。このため、遅れがちだった2013年までの未納の賃料を完済した時点で関係を清算することで組織と合意した」(市担当者)という。

 これにより、市は13年から土地を自由に利用できることになったが、廃屋は残ったまま。これでは土地を利用できない。訴訟はそのための建物撤去と損金を求めるものだ。額は3件合計で年額4万7601円。この額が13年以降、撤去まで続く。

 工場などがあったこの地域は外国人が多く住み、助け合いながら昭和の混乱期を生きた。しかし時は流れ人のつながりも薄れ、自治組織を含め3人の消息を知る人はいない。「住民票からたどることもできず、入国管理局などにも照会したが、追跡不能」(市担当者)という。

 付近の高架を東海道線が走り、地上43階建て高層マンションや大型商業モールが建つ。土地の明け渡し請求は、発展から取り残されたような岐阜の昭和史の一断面を照射している。

最終更新:6/11(日) 17:51
毎日新聞