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【インタビュー】トータス松本 「ガッツだぜ!!」から20年後の「人生」

6/11(日) 20:10配信

朝日新聞デジタル

「ガッツだぜ!!」で一気にスターダムを駆け上ったウルフルズ。以来、人気バンドとしてヒット曲を次々に飛ばしながらも、突然の活動休止でファンを驚かせた。元気印のバンドがその裏で感じていた戸惑いや葛藤、そして、復活を経た「今」を、ボーカルのトータス松本さんが語る。
★インタビュー「前編」は、下の関連記事をご覧ください。

日本語にこだわる理由

――ウルフルズと言えば、関西弁も含んだ「ザ・日本語」のロックを結成当時から貫いています。日本語へのこだわりがあったのですか?

 僕らがバンドを始めたころって、英語がちょっと混じってんのが恥ずかしい感じやった。時代遅れというか。「ひとりぼっちのロンリーナイト」とか「聞いてください……レイニーデー」とかさ(笑)。全然似合わへんのよ、ライブハウスとそのノリが。そういうことに気づいてないヤツらがいっぱいおって、ああはなりたないと思って。若かったから、特にそういうことには敏感やった。だから俺らは頭から尻まで日本語、タイトルも日本語、英語なんか使うかー!みたいな(笑)。で、題材は超身近。「禁断の扉が開いて……」とか(笑)、そういう訳わからん設定は一切ナシ。

 そうやってオリジナル曲を作ってはライブに出て、また曲作って。曲が足らんときは洋楽にテキトーに日本語はめて歌ったり。大阪のちっちゃいライブハウスだと誰も気づかへんかったね(笑)。

――ライブに来るお客さんの反響は?

 ライブを始めて割とすぐにお客さんは増えたんですよ。大阪ではワンマンもできるようになり、ライブハウスの人が口をきいてくれた福岡でのライブも歓迎されて。「東京でもイケるんちゃうか?」なんて調子に乗ってたら、知り合いが「渋谷のエッグマンで空きがあるけど」と声をかけてくれて、「行きたい! 行く!」と。

 対バンやったんやけど、会場に行ったらお客さんがいっぱいおって。「わぁ、いっぱいおるなー!」って喜んで、本番まで時間あるからメシ食いに行って、戻って来たら誰もいない。みんな前のバンドのファンで、帰っちゃったんですよ。僕らの番になったら6人しかおらへん。その6人、仕事とかで大阪から東京に出てきてた友達で。今度東京でライブやるから見に来てや~、とか誘った人らだけやった。

 よく考えれば当たり前だよね。今みたいにインターネットもないから告知もできなかったし。でも、そんな少人数の前でライブやったことなんてなかったからすごいヘコんだ。悔しくて悔しくて、もうやり続けるしかないと。ブッキングしてもらっては車に機材積んで東京に向かいました。そのうち東京でもおもしろがられるようになり、メキメキお客さんが増えてきて、2、3年後にはワンマンができるように。諦めずに辛抱強く頑張ったなぁと思います。

 そしたらライブハウスにレコード会社の人が来て、名刺を置いていって。ホンマにこんなことあんねんなぁ、マンガみたいやなぁ、って。

――1992年、メジャーデビューを果たします。

 なんかもう「終了~」って感じやった。目標達成、ゲームオーバー! みたいな。ホンマはそこがスタートなんやけど(笑)。で、しばらくしてからデビューしたからいうて何も始まってないことに気づいて真っ青になった。アホやね、ホンマ(笑)。正直、デビューしてからのほうがしんどかった。アマチュアの頃はなんやかや言うても楽しかった。バイトもしてたし仲間もいっぱいおったからね。メジャーデビューして売れないっていうのは、ものすごい傷つく。必要とされてない感が半端ない、っていうか。

 最初は給料が出てたんやけど、売れないから出なくなって、またバイトを始めたんです。で、金貯めてはライブして。アマチュアのときとやってることが何も変わってない。これは相当ヘコんだね。ここまでして音楽やらなアカンのやろか、こんな惨めな思いまでしてなんのために音楽やってんのやろ――。そんなこと考えて一人泣いていました。

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