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立川談慶さんが語る落語と酒 「登場人物はみんな下戸」

6/12(月) 9:26配信

日刊ゲンダイDIGITAL

 ワコールの営業マンから立川談志の門を叩いて26年目。立川談慶さん(51)が本格的に酒と付き合い出したのは入門後だった。

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「酒が人間をダメにするんじゃねえんだ。もともと人間っていうのはダメなもんだと教えてくれるのが酒なんだ」

 言い得て妙でしょ? 師匠・談志の名言のひとつです。落語の登場人物っていうとウワバミってのはあまりいません。酔っぱらってグデグデになる人が多いですねえ。端的なのが「親子酒」。ある商家の酒好きの父親が酒癖の悪い息子をいさめるため「ともに禁酒をしよう」と持ちかけるお話。いざ禁酒したものの、我慢できず父親はヘベレケになるまで飲んでしまう。そこへ、取引先の旦那と飲んでベロベロになった息子が帰ってきた。それに怒った父親が女房に向かって「婆さん、こいつの顔はさっきからいくつにも見える。こんな化け物に身代は渡せない」と。それを聞いた息子は「俺だってこんなぐるぐる回る家は要りません」。とまあ、こんなオチですが、親子揃って酒に弱いから笑える話です。

 日本人は遺伝子とか分解酵素の問題で、欧米人に比べると下戸だそうです。それをお互いにわかり合い、酒に弱くても許せる文化があるから、落語にもなるわけです。落語は共感ですから。

■談志師匠に「俺んチで吐いたらクビ」と言われて……

 私は弱かったですよ。今でこそ、ビールの後に日本酒を1合ほど飲めますが、サラリーマン時代は下戸も下戸。最初の赴任先が福岡なので鍛えられましたが、中ジョッキ半分を超すぐらいで限界でしたからしれてます。そしていざ入門しましたら、立川流の場合、見習いと前座は師匠の前では禁酒禁煙なんです。目が届かないところで飲むのは問題ないのですが、酔って師匠の前に出るなんてのはご法度でした。

 ところが、たまに師匠の機嫌がいいと「おまえも飲むか」とくる。まだ前座の頃でしたねえ。大好きなミュージカルをテレビでご覧になって上機嫌、「珍しいもの飲ませてやる」と言い出しまして、冷凍庫から出してきたのがアルコール度数96度のウオツカ「スピリタス」。飲んだ途端、口の中が火がついたみたいに熱くなる蒸留酒です。これをお猪口でクイッと飲み、すかさずチェイサーの氷水を飲んで冷やす。口と喉に灼熱と極寒が交互にやってくる、乱暴な飲み方です。

 それでも師匠の命令ですから断れません。かといって度数が度数ですからホンの数杯で限界。すると師匠、顔色が変わった私を見た途端に「俺んチで吐いたらクビだ」。慌てて外へ飛び出しましたよ。幸いにも敷地の境界に出たところでリバース。「吐いた的経済水域」の重要性を身に染みて理解したものです。

 昨年末に閉店した銀座のバー「美弥」も忘れられないですねえ。ここは師匠の大のお気に入り。亡くなる直前まで足しげく通っていました。でも、弟子は二つ目になるまでは店内に入れないんですよ。店が狭いってこともありますが、「身分が違う」と。師匠が「帰る」というまで外で待機してました。真冬でもね。

 2000年12月。普通5、6年のところ、9年半かかってようやく二つ目昇進が決まって、お披露目をする前の晩に「美弥」で飲んでた師匠にご挨拶に伺いました。すると「そうか、頑張ったな。フライングだ。許す」と。初めて「美弥」のカウンターでご馳走になったキリンラガービールは格別でした。

 04年に真打ち昇進を本気で考えて相談した際もお酒がありました。その時は元プロレスラーのキラー・カーンさんが歌舞伎町で経営していた居酒屋です。翌年、晴れて昇進できました。

 10年7月には、生まれ故郷に近い長野県佐久市の文化会館の館長に就任させていただきました。その記念落語会のゲストが師匠。亡くなられる1年4カ月前です。師匠は体調が悪くウーロン茶専門。それでも2次会3次会、明け方にお開きになるまで付き合ってくださった。振り返ると、私の落語家生活は師匠と酒との思い出が多いですね。局面局面にお酒がありました。お酒って本当にありがたいものです。