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青木日米2000本 ヤクルト時代の恩師2人も祝福 若松元監督には年賀状でレギュラー入り直訴 「目力すごかった」

6/12(月) 17:04配信

産経新聞

 2004年、ドラフト3位指名で早大からヤクルト入りした当時の青木は身長175センチ、体重77キロ。「体が細くておとなしい子。ただ目力はギラギラしてすごかった」と当時の監督、若松勉氏(サンケイスポーツ専属評論家)は振り返る。

 1年目の多くを2軍で過ごしたが、フレッシュオールスターで最優秀選手賞を獲得。イースタン・リーグでは.372の高打率で首位打者となった。

 「絶対に頑張ります。レギュラーで使ってください」。手応えを得た青木は翌05年の年賀状で若松氏に直訴した。

 この年、稲葉篤紀が日本ハムへ移籍し、外野の一角が空いていた。「青木を使いたい。何とかしてくれ」と指揮官に頼まれた杉村繁氏(現ヤクルト・チーフ打撃コーチ)は50メートル5秒8の俊足に着目。「逆(左)方向へゴロかライナーを打て。足でヒットにできる」と指示した。

 杉村氏は、練習で厳しいコースの球をわざとファウルし続ける青木の取り組みに目を見張った。「フェアゾーンに打てば凡打になる難しいボールをファウルで逃げ、甘いボールを待って仕留めるための練習へ自分から取り組んでいた」

 4月は打率.230と低迷したが、5月の交流戦から安打を量産。10月11日の横浜(現DeNA)戦で1994年のイチロー以来2人目のシーズン200安打に到達し、首位打者(.344)と新人王も獲得と2年目で大きく開花した。

 翌2006年に盗塁王(41)、07年には20本塁打とパンチ力も見せ、10年には史上初の2度目の200安打を記録し、3度目の首位打者(.358)にも輝いた。「まるでポケットモンスターみたいに年々打者として進化してきた」と杉村氏は回想する。

 日米通算2千安打の金字塔達成に若松氏は「メジャーで速球や動くボールに対応するため、もともと得意なバットコントロールにさらに磨きがかかった。ここまで来られたのは自分の努力の賜」と賛辞を贈る。

 杉村氏は「早大では同期の鳥谷(敬=阪神)の陰に隠れ、ヤクルトでは2軍スタート。メジャーでもレギュラーを約束されていなかった。常に逆境をはね返す精神的な強さが彼にはある」とたたえる。(三浦馨)

最終更新:6/12(月) 17:04
産経新聞