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ハリルJ・久保の恩師を直撃! 15歳にしてプロ級振り足…“ダイヤの原石”に心が震えた ラウルの映像流し「はい久保、ちゃんと見て」

6/13(火) 16:56配信

夕刊フジ

 【久保裕也の恩師激白】菅澤大我氏(1)

 今年1月に移籍したヘント(ベルギー)で出場17試合で11ゴールと大ブレーク。久保裕也(23)は日本代表でも本田圭佑(ACミラン)が長く君臨してきた右ウイングのレギュラーを奪い、13日のイラク戦(テヘラン)で大車輪の働きを期待されている。前所属のヤングボーイズ(スイス)を含め昨季だけで23ゴールを量産した万能型FWは、どのようにして生まれたのか。高校時代に「ひな型」を作り、今も久保から慕われる恩師を、阿蘇山を望む熊本の地に訪ねた。 (スポーツジャーナリスト 藤江直人)

 偶然に導かれた出会いが、その後のサッカー人生を変える。久保の場合は15歳の2009年春。山口・鴻南中を卒業と同時に加入した京都サンガU-18だった。

 「あの時にいろいろと教えてもらったことが、今も生きていると思っています」

 本田から右ウイングのレギュラーを奪いつつある久保は、高校サッカーには目もくれず、スカウトされた京都でプロへの最短ルートを歩む決意を下した。

 古都で出会い、今も久保が感謝の思いを抱いている恩師が、京都サンガU-18監督に就任したばかりの菅澤大我だった。現在J2ロアッソ熊本で育成ダイレクターを務める42歳は、8年前を笑顔で振り返る。

 「当時から寡黙で、今とほとんど変わらない。スカウトからは『いいFWがおるで』と言われていましたけど、自分の目にはサッカーを習ってきた子どもには映らなかった。いい素材がありのままで自分の手元に来てくれた、という印象を強く持ちました」

 東京都出身の菅澤は、読売サッカークラブユースでプレー。1996年から指導者に転身し、ヴェルディ川崎から東京ヴェルディと名称を変えた古巣で10年間、育成年代の指導に携わった。今もJ1最年少得点記録を持つFW森本貴幸(川崎フロンターレ)を10歳から6年間指導した。

 森本へのアプローチは決して間違っていなかったが、彼が海を渡った2006年夏以降は、悔しさと反省を胸中に抱くようになった。世界を視野に置けば、猛者たちが体を張るゴール前でより輝きを放てる育て方もあったのではないか。そんな時に、久保と出会った。

 久保は15歳にして、シュートを放つ際の振り足の速さを持っていた。ひざから下をコンパクトに振れるから、飛んでいくコースもいい。体もある程度強い。ダイヤの原石と引き合わせてくれた偶然に、心が震えた。

 「指導者がいい選手と巡り会える確率は、そんなに高くない。その中で決定力の高さを求められるポジションの選手と、人は違えど再び出会えるのは本当にありがたいこと。森本と取り組んできたことに、彼が海外で直面した壁を加味して再び挑戦できる。チャンスという言葉がいいかどうか分かりませんが、自分にはそう思えました」

 欧州を中心とした海外リーグの分析が大好きだと、菅澤は自負する。ミーティングで試合をそのまま子どもたちに見せることもあれば、特定選手のプレーをピックアップして見せることもある。

 久保には9番、つまりセンターFWの基本的な動きをしっかり教え込んだ。その上で、レアル・マドリードの英雄ラウル・ゴンザレス、今やスペイン代表の歴代最多得点記録を持つダビド・ビジャ(当時バレンシア)が登場すると、注意を引くように声をかけた。

 「はい、久保、ここからちゃんと見て」

 ラウルもビジャも、タイプ的にはセンターFWではない。トップ下と呼ばれる攻撃的MFとの中間あたりに巧みに顔を出しゴールを量産する。

 「僕は勝手に1・8列目と呼んでいます」

 9番と10番、両方の長所を兼ね備える動きを、夏場すぎあたりから映像を介して巧みに刷り込ませた。京都のトップチームを経て、久保がヤングボーイズ(スイス)でプレーしていたとき、国際電話でユース時代の思い出話に花を咲かせた。ラウルやビジャを見せられた意図を初めて理解した久保は、受話器の向こう側で思わず声をあげた。

 「ああ、そういうことだったんですね」

 ■菅澤大我(すがさわ・たいが) 1974年6月30日、東京都生まれ。高校時代は読売サッカークラブ(現東京ヴェルディ)のユースでプレー。96年から古巣で指導者の道を歩み始め、育成年代を担当した10年間で森本貴幸、小林祐希、高木3兄弟らを発掘・育成した。名古屋グランパスエイト、京都サンガ、ジェフユナイテッド千葉で育成のスペシャリトとして活躍。2016年にロアッソ熊本入りし、今季は育成ダイレクターを務める。

最終更新:6/13(火) 16:56
夕刊フジ