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なぜ「ヒーローもの」の主人公に、社長が少ないのか

6/13(火) 8:35配信

ITmedia ビジネスオンライン

 先日、六本木ヒルズで開催されている「マーベル展 時代が創造したヒーローの世界」を見に行ったところ、その盛況ぶりもさることながら中国人観光客の多さにびっくりした。

【ウルトラマンの主人公は……?】

 わざわざ日本にやって来てまで米国映画のキャラクターを見物するなんて物好きな連中だな、とあきれる方もいるかもしれないが、実はこうなってしまうのには理由がある。

 マーベルがこれでもかというくらい中国市場へ猛アピールをしているからだ。

 ご存じのように、いまや中国は米国に次ぐ世界第2位の映画市場であり、ここでヒットをしないことには巨額の投資を回収できない。それはディズニー傘下のマーベルスタジオとて例外ではなく、これまでも中国人の心をつかむために涙ぐましい努力を行なってきた。

 例えば、2013年に公開された『アイアンマン3』の悪役マンダリンは、原作では中国の犯罪結社のリーダーという設定だが、映画では「国籍不明のテロリスト」となっていた。さらに、国内の検閲をスムーズに通過するためという名目で、通常版よりも3分ほど長い「中国版」を製作して、中国人キャストの登場シーンや、中国の風景を増やしたのだ。

 また、2017年1月には香港ディズニーランドに「アイアンマン・エクスペリエンス」というアトラクションがオープンして人気を博している。さらに、2023年にはマーベルヒーローのアトラクションができることからも、ディズニーのグローバル戦略で「マーベル」というコンテンツが、日本より中華圏での人気獲得に重きを置いているのは明らかだ。

●「独自のヒーロー文化」が影響している!?

 なんてことを言うと、愛国心溢れる方たちからは「日本よりも中国にこびを売るなどけしからん! マーベルなんて不買だ!」なんて怒りの声があがりそうなので、フォローをしておくと、マーベルがこのような戦略をとるのもいたしかない部分がある。

 「マーベル展」は大盛況しているが、実は日本では海外での大ヒットと比較してそれほどマーベル映画はウケていないのだ。

 例えば、世界中で大ヒットして累計興行収入1兆円を超えた『アベンジャーズ』の続編、『エイジ・オブ・ウルトロン』は米国で公開2週連続ナンバーワンを獲得。中国でもオープニング初日興収3390万ドル(約40億6800万円)という驚異的な成績を達成し、ディズニー、マーベル作品でのナンバーワンオープニングを記録したほか、さまざまな国で記録を塗り替えたが、日本での興行収入は前作を超えていない。

 もちろん、どのマーベル映画も「ヒット」と呼んで差し支えのない素晴らしい興行成績である。ただ、ほかの国ほどの盛り上がりをみせていないのだ。そのあたり、実はマーベル側もよく分かっている。アメコミ原作の映画関係者が来日するたび、「なぜ日本では思ったほどヒットをしないのか」を尋ねている『毎日新聞』の記者の方によると、現在公開中の『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー・リミックス』のジェ-ムズ・ガン監督や、マーベルヒーロー同士が戦う『シビル・ウォー』のプロデューサーも、口をそろえてこのように分析をしているという。

 「日本には独自の漫画文化が定着しているから」(毎日新聞 2017年4月27日)

 これには激しく同意をする方も多いのではないだろうか。

 日本が世界に誇る「MANGA」や「ジャパニメーション」に子どものころから慣れ親しんできた我々は「ヒーローもの」に対してかなり目が超えていて、『アイアンマン』や『キャプテン・アメリカ』に代表される勧善懲悪や派手なアクションだけでは満足できないんだよなあ、という声がいたるところから聞こえてきそうだ。

 だが、「独自の漫画文化」だけでは、この現象は説明できない。

 『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』の公開を控えた2014年、マーベルは東映と組んで、日本用アニメ『ディスクウォーズ アベンジャーズ』を制作している。「ポケモンバトル」を意識した現地化施策だったが、残念ながらそこまで大きな話題とならなかった。

 「独自の漫画文化」へ迎合してもパッとしないということは、原因は他にあるはずだ。では、なにかというと個人的には「独自のヒーロー文化」が定着しているからではないかと考えている。

●日本のヒーローものには「社長」がいない

 そもそも世界の人々が考えているヒーロー像と、我々日本人が考えているヒーロー像にかなり大きな隔たりがあり、その違和感が『アベンジャーズ』をはじめとするアメコミの世界観にどっぷりと浸かることを無意識に避けているのではないか、と思う。

 では、日本のヒーロー文化のどのあたりが特殊なのか。分かりやすいのは、日本のヒーローものには「社長」や「大富豪」がいないという点だろう。

 ご存じのように、『アイアンマン』は世界的企業の社長、『バットマン』も大富豪、盲目のヒーロー『デアデビル』も弁護士、ほかにもDCコミックの『アロー』も億万長者だし、古いところでいえば日本人の武道の達人カトーをパートナーに活躍する『グリーン・ホーネット』も新聞社の社長だ。

 もちろん、そうではない庶民的なヒーローも山ほどいるが、カテゴリーを構成できるほど社会的地位がある民間人というヒーロー像が確立しているのだ。

 では、日本のヒーローはどうかというと、そういう設定は皆無である。

 筆者と同じ40代くらいの人ならば、「俺は社長で小学生」というテーマ曲でおなじみの『無敵ロボ トライダーG7』なんてのを連想するかもしれない。あるいは、『ジョジョの奇妙な冒険 第2部』の主人公、ジョセフ・ジョースターがドナルド・トランプをモチーフにしたような「ニューヨークの不動産王」として成功をするじゃないかという指摘もあるかもしれないが、このようなケースはかなり少数派で、「社長」とか「富豪」が悪と戦うという設定はほとんどない。

 なぜかというと、日本のヒーローというのは、ほとんどが「公的機関に属する者」か「自由人」という両極端な2つのキャラクターだと相場が決まっているからだ。

 例えば、近く実写化される人気コミック『ジョジョの奇妙の冒険』の主人公は高校生。小栗旬さん主演で実写化される予定の『銀魂』は「何でも屋」を営む侍。幸福実現党に出家したことで話題を集めた清水富美加(法名:千眼美子)さんも出演する『東京喰種トーキョーグール』の主人公は大学生で、後に国家機関の捜査官へ転身を遂げる。実写版が酷評された『進撃の巨人』も「調査兵団」という組織の一員である。

 そんなのたまたまでしょ、と思うかもしれないが、この傾向は今に始まったわけではなく、日本のヒーローが脈々と受け継いできた「伝統」なのだ。

●「公務員」や「学生」がヒーローに

 日本のヒーローは、1966年から放映された『ウルトラマン』と1971年に放映された『仮面ライダー』を抜きに語ることはできない。

 『ウルトラマン』の主人公は「科学特捜隊」といういわば国の公務員である。一方、『仮面ライダー』の本郷猛はなにをしているからよく分からないプータローのようなイメージがあるかもしれないが、実はもともとは「城南大学生化学研究所の学生」という設定だ。

 その2大ヒーローの後もこの傾向は変わらない。世界中で放映されている『パワーレンジャー』の主人公は「学生」だが、元ネタである『スーパー戦隊シリーズ』の多くは、「長官」や「司令官」という立場の人間がいる公的機関に主人公たちは所属している。

 また、『科学忍者隊ガッチャマン』は「国際科学技術庁」なる国際機関がつくりだした特殊部隊だし、『機動戦士ガンダム』のアムロは機械いじりが好きな高校生だったが、戦火に巻き込まれたことで、「地球連邦軍」の兵士となっている。

 キリがないのでそろそろ止めておくが、国や公的機関に属する「公務員」のような設定や「学生」に代表される自由人がヒーローになるという設定が、もはや「フォーマット」といっても差しつかえがないほど氾濫しているのだ。

 このようなヒーロー像の偏向ぶりに、太平洋戦争の影響があることは容易に想像できよう。ほんの70年くらい前まで、「鬼畜米英」という悪の組織と戦いを繰り広げて、日本国民を守ってくれたヒーローといえば「兵隊さん」と「学徒兵」だった。

 戦争に敗れたとはいえ、彼らの尊い犠牲がなければ、この国はどうなっていたか分からない。そういう強い思いが、すべての日本人の中にあった。戦争が終わって徐々に娯楽が生まれる中で、「兵隊さん」や「学徒兵」の姿が無意識に重ねられ、公的機関のメンバーや学生というヒーロー像が確立していったというのは、ごくごく自然な流れではないだろうか。

 そう考えると、日本に『アイアンマン』や『バットマン』のように社長や大富豪のヒーローが生まれなかった理由も理解できる。自らの命を顧みずに日本を救ってくれた「兵隊さん」や「学生」と対照的な存在だし、そのようなヒーロー像が刷り込まれると同時に「ぜいたくは敵だ」という強烈な「洗脳」を受けているからだ。

 この後遺症によって、日本において正義を実行できるのは、国のために身を捧げた公務員か学生しかいない、という固定観念が国民に植え付けられる。自分の努力だろうが、親から引き継いだものであろうが、「富」を持つ「ぜいたく者」はそれだけで、「国民のヒーロー」になる資格はないのだ。

●日本人は「洗脳」から解き放たれていない

 平成のヒーロー像が昭和のそれとほとんど変わっていないことからも、おそらく我々はその「洗脳」から解き放たれていない。

 監督官庁トップの立場を使って天下りをあっせんするという国民に対する最大級の裏切りを行なっていた公務員が、クビ同然に追い出された後にマスコミと組んで「行政がゆがめられた」と政権批判を始めた。

 「ヒーロー」の多くが民間出身の米国なら、「権力闘争に負けた役人の遠吠えでしょ」「お前が言うな」とバッシングの嵐だが、「ヒーローといえば公務員」と長くしつけられている日本ではいつの間にやら悪事もチャラにされ、「独裁者に立ち向かう正義の人」として拍手喝采を浴びている。

 6年前から「出会い系バー」に「貧困調査」で入りびたっていたわりには、その成果をまったく行政に生かしていないなど、ツッコミどころは山ほどあるのに、悪事がバレた後に辻つま合わせのように始めたボランティア活動で、こちらも「英雄譚(えいゆうたん:英雄の活躍を描いた物語)」に書き換えられた。

 政権批判に踏み切った動機も、その主張も、ちょっと前に注目を集めた学校経営者の方とそれほど大差がないのに、あちらが経営に苦心する「民間人」であることに対して、この人は「公務員」というだけで無条件に「ヒーロー」扱いされている。

 こういう国で、大企業のCEOを務め、個人の才覚で勝負するトニー・スタークのようなヒーロー像が支持されるわけがない。

 マーベルの苦しい戦いはまだまだ続きそうだ。

(窪田順生)