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青木2000本「生き残る」ため柔軟思考と変幻打撃

6/13(火) 10:10配信

日刊スポーツ

<アストロズ6-12エンゼルス>◇11日(日本時間12日)◇ミニッツメイドパーク

 【ヒューストン(米テキサス州)11日(日本時間12日)=四竈衛】アストロズ青木宣親外野手(35)が、日米通算2000安打(日本1284本、米国716本)を達成した。あと2本で迎えたエンゼルス戦に「9番左翼」で出場。第2打席に右中間適時二塁打で王手をかけると、続く第3打席に左前打を放ち、大記録に到達した。ヤクルト入団から、メジャー5球団を渡り歩いた14年目。固定観念を持たない柔軟な思考と変幻自在な打撃スタイルで、歴代の大打者の仲間入りを果たした。

【写真】合後に佐知夫人と笑顔でポーズをとるアストロズ青木

 その瞬間、試合が止まった。電光掲示板に「2000 HITS」の文字が浮かび、地元ファンから総立ちで拍手を浴びた。第2打席の右中間二塁打で王手をかけると、「この打席で決める」と意を決して向かった第3打席で、鮮やかに三遊間を突破した。一塁ベース上の青木はヘルメットを掲げると、目の前に広がる景色を焼き付けるように球場全体を見渡し、満面の笑みで返礼した。

 「負けていたし、スクリーンを見て、今は笑ってもいいんだと思いました。自分の野球の歴史の中で、結果を認めてくれたわけですから、すごくうれしかったです」

 常に、危機感と向き合う14年間だった。WBC侍ジャパンで主軸を務めるなど、日本を代表する打者となった今でも、試合前の打撃練習では携帯で映像を撮影し、フォームチェックを怠らない。「どこか自分が間違ってるんじゃないかと思う時がある。いつもそこに対してはアンテナを張ってます」。積み上げた2000本の中で、印象に残る安打は挙げられない。「自信を持ってプレーすることだけはブレずにやってきた。ただ、代わりはいくらでもいる。生き残っていくためにはどれも必要な1本でした」。自信は持っても、過信はしない。揺らぐことのない「求道」の姿勢が、メジャーでは小柄な身長175センチを支えた。

 南国情緒漂う宮崎・日向で自由奔放に育った青木には、野原で無心に白球を追った日々が、今も原風景としてある。帰宅すると、ランドセルを放り投げ、バットとグラブを手に外へ飛び出すのが日課。「野球を強制的にやらされた記憶がないんです」。小学5年当時、左打ちに変えたのも、次兄を「何となく」まねたからだった。日向高進学後も、スパルタ練習とは無縁だった。だからこそ、青木には固定観念がない。毎試合、毎打席、さらにカウント次第でフォームを変えることも珍しくない。「決めつけたくない。いつもフラットでいたいんです」。

 35歳で大台に到達し、今後は2500、3000本への道が始まる。「続けることはすごく難しい、年数を重ねれば重ねるほど。自分におごりが出たら、結果は出ないですから」。柔軟な思考と、謙虚なまでの危機感。大打者の域に達しても、温暖な日向で育まれた青木の心意気と野球観は変わっていない。

 ◆青木宣親(あおき・のりちか)1982年(昭57)1月5日、宮崎県生まれ。日向-早大を経て03年ドラフト4巡目でヤクルト入団。05年にプロ野球2人目のシーズン200安打を達成し新人王。10年には史上初めて2度目の200安打をマーク。首位打者3度、最多安打2度、盗塁王1度。11年まで7年連続ベストナイン、6年連続ゴールデングラブ賞。11年オフにポスティングシステムでブルワーズ移籍。大リーグ計5球団でプレー。ロイヤルズ時代の14年にワールドシリーズ出場。08年北京五輪、06、09、17年WBC日本代表。175センチ、81キロ。右投げ左打ち。今季年俸550万ドル(約6億500万円)。夫人は元テレビ東京アナウンサーの佐知さん。

最終更新:6/13(火) 10:30
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