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こんなことも知らないんですか? ベンダーって勉強不足ですね――IT訴訟解説

6/14(水) 6:10配信

@IT

 IT訴訟事例を例にとり、トラブルの予防策と対処法を解説する本連載。前回は、その場しのぎで行った謝罪をたてに、損害賠償請求されたベンダーの話を取り上げた。

【「いい加減にしてくれよ。こんなの常識だろう?」「ええ、あなたにとってはね。あなたの常識は、私には非常識なのよ」】

 今回は、ベンダーはどこまで業務知識を持つべきかを考える。

●正しい要件定義のためには、ベンダーにも業務知識が必要

 要件定義工程は、システム開発の中で最もトラブルを生みやすい。いわば鬼門である。ユーザーの意図や目的、あるいは課題を十分に理解できないまま、ベンダーが開発を実施し、完成品に「あの機能がない」「この画面は違う」とユーザーからクレームが付く。揚げ句の果てに開発費用を減額されたり、全く支払ってもらえなかったりといったことは、たくさん存在する。

 実際、ITの知識豊富ではない人がユーザーの担当者になった場合、システムの要件を漏れなく、かつ正しく伝えることは困難だ。以前、この連載で紹介した旅行会社の航空チケット発券システムの裁判など、その最たるものだろう。

 「チケット発券業務には、遠隔地からデータベースを操作できる機能が必要なことはベンダーも当然知っているだろう」と思い込んだユーザーの担当者が、これを要件として明示せず、結果システムは機能不足で稼働できず、裁判で争うことになった、という話だ。

 このように「ユーザーにとっては常識だがベンダーにとっては非常識」という要件は珍しくない。

 この裁判では、「要件不備の責任の一端はベンダーにもある」との判決が出た。「ベンダーは、ユーザーの業務をよく学び、実際のオペレーションを理解した上で、ユーザーが作成する要件定義書の過不足をチェックしなければならない」という判断だ。なかなかに厳しい判決である。

 しかし、発券システムの遠隔操作は日常的に行われる作業なので、旅行会社のシステムを開発するのなら、頭に入れておくべきことではあった。仮に、それまでに旅行業システムの開発経験がなかったとしても、現システムの業務の流れを観察して理解していたら、遠隔操作の必要性を要件定義前に理解できたはずだ。

●弁護士が原告となった裁判

 では、もっと特殊で専門的な知識を要するシステムの場合はどうだろうか。

 例えばIPS細胞のような最先端医療を支えるシステムを開発する場合、ベンダーのエンジニアは要件定義を行うのに十分な医療知識など持っていない。そうした場合でも、ベンダーは医療の業務知識をしっかり学んでおく必要があるのだろうか。

 そこまで極端ではなくても、「Uber」のような世界に例がないシステムを初めて開発する際、ベンダーは何を学んでおくべきなのだろうか。

 今回は、ベンダーの専門外のシステムを作るときの「責任」が争点となった裁判例を紹介する。

 ベンダーを訴えたのは、弁護士である。「集団訴訟」という、あまり頻繁には発生せず、取り扱いに十分な業務知識を必要とする「訴訟管理システム」についての裁判だ。

 判決文から見てみよう。

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東京地方裁判所 平成28年4月1日判決から抜粋

ある弁護士が、ベンダーに対し「集団訴訟管理システム」の開発を委託したが、出来上がった開発したシステムが係属裁判所、事件番号などの入力項目がなく、ひな型のダウンロード機能もない未完成のものであったたため、このベンダーを相手取って、債務不履行に基づく損害賠償を請求する裁判を起こした。

ベンダーは、係属裁判所や事件番号簿の入力など要件として定義されていないと反論したが、弁護士側は、裁判の記録を扱うシステムなら、これらについては、特に明示しなくても入力項目として準備するのが当然であると主張した。
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 いわゆる「言わずもがな要件」である。

 例えば、Webで買い物をするシステムであれば、商品の価格と個数から合計額を表示する機能は当然に必要と考えられる。特にユーザーから要件として提示されなかったとしてもだ。もしもベンダーが、こうした機能を確認もせず実装しなかったら、「責任の一部はベンダーにもある」と判断されるかもしれない。

 しかし本件は、ベンダーの技術者が普段あまり知ることのない裁判資料の記載項目に関わることであり、かつ集団訴訟管理というまれな業務でもある。「係属裁判所や事件番号の入力項目が必要であると自発的に気付け」というのは、ベンダーに酷ではないだろうか。

 しかし弁護士側は、「ベンダーが集団訴訟についてしっかりと学んでいれば、管理のために係属裁判所や事件番号が重要な項目であることは容易に分かるはずだ」と主張する。前ページの航空チケット発券システム裁判と同じ理屈である。

 裁判所は、どのような判断を下したのだろうか。

●要件定義の責任

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東京地方裁判所 平成28年4月1日判決から抜粋(つづき)

そもそも「集団訴訟」とは、「訴訟当事者、特に原告が多数で集団を成している訴訟」をいうのであって、「集団訴訟(管理)システム」というだけで、必然的に係属裁判所、事件番号等の入力項目が導かれるものではない。

(本システムにおける本来の)原告の関心は、「(訴訟を)多数の弁護士を抱える大事務所や全国の弁護士に割り振るような集団的な顧客管理システムの汎用版」を目指すということにあった旨主張しているものと解されるが、これ自体イメージとして不明瞭であり、契約においても、これらの入力項目を必須とするものはなく、打ち合わせ議事録においても、原告(弁護士)がこれを強調して、入力項目とした形跡は見受けられない。

原告は、「少なくとも係属裁判所や担当部などを記録・管理する内容が本システムの根幹の一つとして必須であることは、容易に看取できる」(と主張するが)日ごろ裁判実務に携わっている者には自明のことであっても、そうではないベンダーらにとって、このようにいえるとは解されない。

要するに、本件契約の内容として、係属裁判所、事件番号などの入力項目を設け、これらにより事件を検索する機能を持たせるようにするためには、原告がその旨を明確に指摘し、ベンダーと協議したことが必要である
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 ユーザーにとっては常識であっても、ベンダーにとってもそうとは限らないのだから、要件はきちんと文書化し、よく協議せよ。裁判所はこう述べて、原告の訴えを退けた。

 やはり、原則「要件定義の責任はユーザーが負うべき」なのだ。

●“言わずもがな要件”の食い違いを避けるために

 しかしいつも書いているように、IT訴訟に勝っても、それはベンダーの成功とはいえない。裁判は、長い時間と労力をかけ、顧客の信頼も失いながら、やっとマイナスをゼロにする作業である。裁判に巻き込まれてしまった時点で、ベンダーにとっては負けに等しい。

 では、ベンダーがこうした「言わずもがな要件」を察知して、きちんと要件を理解するためには、どのようなことが必要だろうか。筆者が考える方法は、簡単に言えば「ユーザーの期待値が過度にならないように調整する」ことである。

 受注前の提案時、ベンダーはどうしても自らの知識を過大に伝えがちだ。

 「契約管理システム開発経験がある」と言ってしまったが、実際は保険システムの下流プログラミングしか経験がなく、保険料計算の複雑な数理システムを理解せずにシステムを作ってしまったら、どうなるだろうか。現実にはそんなことはまずないが、仮にユーザーがシステム受け入れ時に検証しなかったとしたら、システムが間違った保険料率を記載した計算書を契約者に送付し、保険会社の信用は失墜してしまう。ベンダーは多額の損害賠償を求められることになりかねない。

 ベンダーは受注後速やかに「本当の実力」を包み隠さずユーザーに伝えるべきだ。

 提案書にあからさまなウソがあるのは問題だが、ユーザーの過度な期待は、「開発経験がある」などの曖昧な表現に基づいていることが多い。ベンダーはこれらの曖昧さを排除し、「ここでは下流工程をやった」「この時の開発者は今回参加できない」「ここは全て自分たちでやった」と、具体的な「経験」を示す。その上で、ユーザーに自分たちに足りない部分を指摘してもらうことが大切だ。

 ちょっと格好悪いが、プロジェクト成功のためには必要な行動だし、ユーザーも結果的には助かるはずだ。今回の裁判も、そもそも「自分達は裁判や集団訴訟についてどのぐらい経験したのか、知識はどのぐらいあるのか」を最初にユーザーにつまびらかにしていたら、こんな間違いは起きなかったと思う。

 期待した知識をベンダーが持っていないと分かったら、ユーザーはがっかりするだろう。しかし、しかし受注してプロジェクトを開始した瞬間から、船はもう港を離れ、引き返せない。前に進むしかないのだ。

 ユーザーと協力して、ベンダーは自分たちに足りない部分を埋めながらプロジェクトを実施することが大切だ。最終的にうまくいけば、最初の知識不足など笑い話になるはずだ。

●細川義洋
ITコンサルタント
NECソフトで金融業向け情報システムおよびネットワークシステムの開発・運用に従事した後、日本アイ・ビー・エムでシステム開発・運用の品質向上を中心に、多くのITベンダーおよびITユーザー企業に対するプロセス改善コンサルティング業務を行う。
2007年、世界的にも希少な存在であり、日本国内にも数十名しかいない、IT事件担当の民事調停委員に推薦され着任。現在に至るまで数多くのIT紛争事件の解決に寄与する。

●書籍紹介
本連載が書籍になりました!
成功するシステム開発は裁判に学べ!~契約・要件定義・検収・下請け・著作権・情報漏えいで失敗しないためのハンドブック
細川義洋著 技術評論社 2138円(税込み)
本連載、待望の書籍化。IT訴訟の専門家が難しい判例を分かりやすく読み解き、契約、要件定義、検収から、下請け、著作権、情報漏えいまで、トラブルのポイントやプロジェクト成功への実践ノウハウを丁寧に解説する。

最終更新:6/14(水) 6:10
@IT