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【二十歳のころ 南野陽子(2)】月給3万円極貧生活…お腹すいても我慢

6/14(水) 15:00配信

サンケイスポーツ

 私がスカウトされたのは、高校1年生のとき。

 当時、神戸に住んでいたんですけど、友人と大阪の公開収録を見に行った先でお声がけいただいたり、その方たちの紹介でいろんな方が連絡を取ってきたり。全部で14、15社ぐらいから声をかけられたかな。

 でも、芸能界って現実味がなかったから、芸能人になろうという思いは、まるで頭になかった。カラオケボックスもない時代で、人前で歌ったことも学校の合唱コンクールぐらいだったし。

 ただね、「こういう仕事に興味ありませんか?」と聞かれると、急にムクムクと「東京へ行ってみたいな」とか、「きれいにしてもらえるのかしら」という考えがわいてくるんですよ。高校生ぐらいのときって、そうなんじゃないかな。

 もちろん、両親は大反対。当時、私は“お嬢さま学校”と呼ばれた神戸の松蔭女子学院という高校に通っていて、エスカレーター式に大学へ行けたんです。私もそうするつもりだった。ただ、親が「ダメよ。東京へ行くなんて。陽子なんかができるわけないじゃないの!」と言ってくるから、反抗期でもなかったのに「私の人生なんだから、私が決めるわ! 私は東京に行く!」って突っ張っちゃって。

 最終的なきっかけは、親の勘違いだったな。高校2年の夏、私は家で衣替えをしていたんです。小学生のころとかは親が出してくれた服を着ていたんですけど、高校生ともなると、ちょっと色気づいてくるじゃないですか。で、自分で洋服のコーディネートをするようになったので、冬物をしまっていただけなのに、親が「え!? あの陽子が洋服をたたんで箱にしまっている。家出だ!!」となって…。

 母が学校の先生に「実はこういう話をいただいているんですけど」と相談したら、先生も勘違い。「南野さんは一学期で転校して芸能界でデビューします」って学校で言っちゃった。こっちは、まだ、そんな気持ち2%ぐらいしかなかったのに、みんなに「えっ、学校辞めるの?」「東京に行くの!?」って言われて、「う、うん…」って感じで。

 周囲に押し出される形で上京しちゃったから、プレッシャーはありましたね。「これで帰れなくなっちゃうな」って。

 1年目は生活も苦しかった。月給は3万円。なのに寮の家賃が月に3万円だから、それで無くなっちゃう。食費などは親に仕送りしてもらって。お腹がすいても我慢したり、本当は110円の鮭のおにぎりが食べたいのに、90円のオカカのおにぎりで我慢して、20円浮かせたりしていました。

 実は「スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説」の主役をやるようになっても、2年目、3年目になって、歌で1位を取っても、お給料は月給10万円ももらっていなかったんです。

 ただ、上京当初は、それよりも、何かしら雑誌に載るとか、ドラマに出るとかしないと、地元に帰っても言い訳できないなと思っていて。

 とにかく動こうって。自分からテレビ局をまわったりしました。当時はバブルのちょっと前で、みんな面白いことをやりたいとキラキラしていた時代。そこに“面白そうな子”だなって、私の言動がハマっていったんです。 (あすに続く)

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