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佐藤琢磨選手がインディ優勝をホンダ本社で凱旋報告、ご褒美に新型NSX

6/14(水) 11:56配信

オートックワン

2017年5月28日に開催されたインディ500で悲願の初優勝を果たした佐藤琢磨選手の凱旋報告取材会が、東京・青山の本田技研工業 本社のHondaウェルカムプラザ青山で開かれた。

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世界3大レースの1つ「インディ500」で日本人初優勝の快挙!

インディアナポリス500マイルレース(インディ500)は、ル・マン24時間レース、F1モナコGPと並ぶ世界三大レースのひとつと言われている。

インディ500は、アメリカ・インディアナ州にあるインディアナポリス・モーター・スピードウェイで開催され、1周2.5マイル(約4キロ)のオーバルコースを200周、500マイル(約800キロ)を走行するというレースで、今年で101回目を迎えた。また、350キロを超えるハイスピードでの接近戦が見どころで、ドライバーには高い正確性が求められる。

佐藤琢磨選手はF1で7シーズン戦ったあと、2010年よりインディカー・シリーズにフル参戦を始め、2013年4月にロングビーチ決勝で日本人として初めて優勝した。

そして今回のインディ500で日本人として、さらには、アジア人としても初めて優勝するという快挙を成し遂げた。

トップチェッカーを受けるため!頭を12000回転させ考えたという「ラスト5周の戦略」が凄すぎる!!

多くの報道陣が集まる中で行われた凱旋報告取材会では、佐藤琢磨選手はお祝いの花束を受け取ると、今回のインディ500優勝までの道のりを熱く語った。

2012年に参戦したインディ500では、佐藤選手は惜しくも優勝を逃している。トップを走るダリオ・フランキッティ選手にファイナルラップで勝負をかけるべく、1コーナーでインから抜かそうとしたものの、ダリオ選手のディフェンスに負けて、佐藤選手は白線の上にタイヤを落としてスピン、リタイアしてしまった。

そのリタイアから5年間、今年はアンドレッティオートスポーツに移籍し、ピットクルーやメカニック、レースエンジニアなど素晴らしい環境を手に入れて臨んだ今回のインディ500は、多くの人の期待を背負い、ミスが許されない戦いとなった。


ラスト5周でトップに出てからいろんなことを考えたという佐藤選手。

近年のインディ500ではトップで逃げ切ることが非常に難しくなっており、マシンの空力性能やエアロパッケージの影響が大きいというのだが、先頭を走る車が切り裂く空気の壁が大きくて、その後ろにつけたドライバーはスリップストリームを使って、追い抜くことができ、逆に早々にトップに立つのは不利になってしまうという。

最終ラップかラスト2周まで先頭にを走りたくないという傾向がここ数年あるそうなのだが、佐藤選手は2012年も全く同じ経験をして、ラストチャンスにかけなくてはならない難しさと、ラスト数周でもしイエローフラッグがでてしまったら…ということを考え、ラスト5周でトップに出たそうだ。

ただしそれもすべて計算通り。

「残り5周あればどんな状況になっても巻き返すことができます。残り5周になったとき、後方を走るエリオ・カストロネベス選手に1周後に抜かされたとしても、そのあと2周を僕は我慢してラスト2周で勝負をかけようと思っていました。もし彼が2周かけて追いついて、2周目に勝負したら、僕は1周だけ様子を見て、やっぱりラスト2周で勝負をかけようと思っていました。」ということを、最後の局面で頭を“12000回転”させながら一生懸命考えたとのこと。


実際、残り2周でエリオ選手が迫ってきたときも、今度こそ白線を踏まずに、1コーナーは正しい方を向いて走り、そこからはリアを滑らせないように丁寧な走行を心がけたということだ。

最後にホワイトフラッグ(ファイナルラップに入ったことを知らせる白旗)が出てからはミラーは一回も見ず、無線でエリオ選手が近づいてきているのはわかっていたが、スリップストリームに入られないように、ストレートごとに進路を変えながら、なんとか逃げ切ることができた。

トップでチェッカーフラッグを受けたときはヘルメットの中で絶叫していたそうだ。

ウィナーズサークルに戻ると、チームメイトはもちろん、昨年まで所属していたA.J.フォイト・エンタープライズのメンバーも祝福してくれ、その中で飲んだ”勝利の牛乳”は「最高の味だった」とのこと。

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最終更新:6/15(木) 10:14
オートックワン