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佐藤琢磨、凱旋記者会見で20分間の”独演”。「夢を持つことの大切さ、叶った時の感動を伝えたい」

6/14(水) 12:47配信

motorsport.com 日本版

 早朝の日本を熱狂させた、あの第101回インディ500が終わり早2週間。日本人としてインディ500初優勝を成し遂げた佐藤琢磨(アンドレッティ・オートスポート)はその後、弾丸メディアツアーに加え、インディ500を含めて3週連続でレースに臨み、4レースを行うという殺人的なスケジュールをこなした。

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 テキサスでのナイトレースを終えた琢磨は、その足で日本にフライト。帰国の翌日、東京のHonda ウェルカムプラザ青山で凱旋記者会見が開かれ、優勝報告に臨んだ。

 会見の冒頭、マイクを渡された琢磨は壇上で約20分間、ノンストップでその胸中を語り続けた。

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「やりました! 嬉しいです。こうして、青山のホンダで優勝報告ができるステージを設けていただいて、本当に幸せに感じます」

「この優勝は僕自身にとっても当然、大きな意味を持ちますが、ここまで僕を信じてずっと応援してくださったホンダさん、そしてスポンサーの皆様、何よりもファンの皆さんとこの喜びを分かち合いたいですし、今なんて言葉に表現していいのかわからないくらい、感謝の気持ちでいっぱいです」

「僕自身、1997年に鈴鹿のレーシングスクールに入りまして、翌年に卒業。そこから全日本F3を経てイギリスに渡り、イギリスのF3のチャンピオンを獲って、念願のF1に上がりました。10歳の時に初めてレース、日本GPを見たあの日からずっと夢を持ち続けて、信じ続けて、挑戦し続けてF1まで行って、本当に夢が叶ったと思いました」

「だけど、自分としては勝負にこだわりたい、レースに出る以上トップを走りたい。その気持ちで走ってきました。F1ではコンストラクターズチャンピオンシップ2位になる、2004年のB.A.R.ホンダという素晴らしい時代を経験させていただきました。その後鈴木亜久里さんと共に、スーパーアグリF1チームとして、日本の応援を一身に受けながら走れたあの瞬間というのは、先頭は走れませんでしたけど、自分にとっては何物にも代えられない、本当に素晴らしい経験でした」

「ホンダと一緒に第一線で走らせていただきまして、2010年には北米のインディカーシリーズに挑戦しました。そこから今年で8回目のインディ500への挑戦。自分のインディカーの戦歴はもうF1をも超えまして、主戦場となっています」

「今回の優勝の前に、ひとつだけお伝えしたいのは、2012年のインディ500ですね。挑戦者として、トップを走るダリオ・フランキッティを抜こうとしてファイナルラップの1コーナー、インからいきました。しかし自分自身の至らないところもあり、ダリオの強さというか、インディ500に勝つ難しさを痛感した一瞬でもありました。彼の巧妙で素晴らしいディフェンディングに負け、白線の上にタイヤを落として、スピンしてしまいリタイアしました。本当にあと2.2マイルくらいだったと思うんですけども、残念ながら優勝には至らずでした」

「インディ500に、レースに勝つために参戦しているという思いを胸に、それからさらに5年間挑戦してまいりました。A.J.フォイトレーシングで4年間に渡りインディ500を走りました。何度かチャンスもありましたが、厳しい時間もありました。そして今年、マイケル・アンドレッティ率いるアンドレッティ・オートスポートに移籍しまして、素晴らしい環境を手に入れました」

「アンドレッティ・レーシングの近年におけるインディ500の強さは本当に目を見張るものがありまして、2014年はライアン・ハンター-レイが優勝し、昨年はアレクサンダー・ロッシがF1から来てインディ500を勝ちました。チームが本当に素晴らしい走行プログラムを初日から作ってくれまして、あの勝利は完全にチーム全員の力だと思っています。クルマだけじゃなく、インディ500は500マイル、800kmの非常に長いレースですから、ピットストップも6回から7回、多い時は8回という、ピットクルーにとっても大きなレースになります。そのひとつひとつのピット作業を確実にこなしてくれたクルーや、最高のクルマを用意してくれたメカニックたちとレースエンジニア、そしてストラテジー。全てが整ったところに僕が想いを乗せて走って、ミスが許されない中で本当に素晴らしい経験になりました」

「ラストの5周、トップに出てからいろんなことを考えました。(シャシーが変わった)2012年から、インディ500は逃げ切るのが非常に難しくなっています。それは新しいクルマの空力性能、そしてここ2年使われているエアロパッケージの影響が非常に大きいんですけれども、先頭を走るクルマが切り裂く空気の壁が非常に大きく、その後ろに入ったクルマはスリップストリームを使って追い抜くことができます。ですから最終ラップまで、あるいは1周前まで先頭を走りたくないという傾向が、ここ数年あったんです。僕自身2012年に全く同じ経験をしましたが、それだとラストチャンスに賭けなければならないという難しさもあるし、もしラスト数周でイエローが出てしまったらやっぱり勝てないんです」

「あの時、なぜあと5周で前に出てきたんだと、チームのみんなもファンのみんなも、すごく心配したと思います。でも、僕には勝算がありました」

「残り5周であれば、どんな状況であっても自分で巻き返すことができるという自信がありました。もし(2番手を走る)エリオ・カストロネベスが1周後に僕を抜いたら、そのあと2周我慢して、ラスト2周で勝負をかけようと思っていました。もし彼が2周かけて追いついて、それから勝負してきたら、僕は1周だけ様子を見てやっぱりラスト2周で勝負をかけようと思っていました。もし3周目に勝負をかけてきたら、2周半かけて追いついてきたということなので、そこで1コーナーを抑えれば次の2周でチェッカーフラッグになります。そういうことを一生懸命考えていたんですね」

「ホンダのエンジンは12,000回転ですけど、頭の中はそれと同じくらいフル回転して、何度も何度もシミュレーションしながら考えました」

「エリオが実際、2周半かけて僕に追いついてくるんですけど、彼が抜けないのか、”抜かない”のか、それだけが唯一わからなかったんですね。ところが、残り2周になるときに彼が挑戦をしてきた。それを見て、彼は行かないんじゃなくて、”行けない”んだとわかりました」

「僕はその数周前に同じホンダ勢のチップ・ガナッシの(マックス・チルトンの)マシンとやりあっているんですね。どのラインを使えばうまく守れて、1コーナーに入っていくときにどのラインだと後ろのクルマに対して優位に立てるか、というのを随分シミュレートしてました。その通りにエリオが来てくれたので、今度こそ白線を踏まずに、1コーナーを正しい方向を向いて出るぞと、それが残り2周です」

「そこからはもう予選のような走りで、ウェイトジャッカーやアンチロールバーを使って、絶対にリヤは滑らせない、だけどアンダーステアを出して速度を落としてもいけないので、風向きを考えながら一生懸命走りました。ファイナルラップに入ってから、ミラーは一回も見ませんでした。スポッターの声でエリオが近づいてきたのはわかっていましたが、十分にイメージできる距離だったので、スリップストリームに入られないようにストレートごとに違う動きをして、なんとか逃げ切ることができました」

「最終ラップの最終コーナーを抜けた時が、自分たちがこのレースに勝つんだと実感した瞬間でした。本当はすぐに無線でみんなにありがとうと伝えたかったんですけど、言葉にならなかったです。無線のスイッチがオンになったまま、気づかずにヘルメットの中で叫び続けていました。だけど、あれが自分の気持ちを純粋に表しています。本当に嬉しいですし、挑戦し続けて夢が叶った瞬間でした。そのあとクルー全員の名前を呼んで感謝の気持ちを伝えましたが、ウイナーズサークルに入ってくるまでにみんながお祝いをしてくれました」

「特に、昨年まで所属していたA.J.フォイトチームの14号車のクルーたちが全員、ピットウォールを越えて僕の前まで来てくれたので、ハイタッチをしてウイナーズサークルに入って行きました」

「その時の皆さんと、26号車のメカニックとアンドレッティ・オートスポートの全員の笑顔が忘れられません。牛乳は最高の味でした」

「そこからここまでちょっと時間は経ちましたけど、その間もデトロイトでの2レースがあり、テキサスでのレースが数日前までありということで本日に至りましたが、感謝の気持ちが本当に大きいです」

「この喜びを、本当にたくさんの方に知っていただきたいです。やっぱり海外でスポーツをする、勝負をするというのは、人間ですから正直に言って不安になることもあります。モータースポーツは一部のチームとドライバーを除いて、本当に厳しい戦いが続きます。僕自身も8年で2勝という、それだけ厳しい世界に身を置いています。そのモチベーションがどこから来るのかといったら、自分自身の目標もありますし、やっぱり日本から海外に出て行ってトップに立ちたいという気持ちが大きいですね。そうするとやっぱりイチロー選手にしてもそうですし、世界で活躍するいろんな競技の選手の活躍を見て、僕自身も影響を受けて気持ちを奮い立たせて、こうしてみなさんと同じように、ひとつの明るいニュースを日本に届けることができたと思います」

「このニュースを是非、多く取り上げていただいてインディ500、そしてモータースポーツの魅力をたくさん伝えていただきたいです」

「だけど、一番ニュースを届けたいのは”復興地”だと思うんですね。震災が起きた2011年以降、僕自身復興地の子どもたちを支援する『With you Japan』というプログラムをずっとやってきました。あの子たちは、これから一生かけても治りきらない、深い傷だったり悲しみ、苦しみを背負って、でも一生懸命生きていて。その子たちが希望を持っていろんなことに取り組んでほしいんです」

「『With you Japan』のプログラムは1日のイベントですけども、その中で1度もゴーカートに乗ったことのない、小さな7歳くらいの女の子が怖くて泣いてしまいました。駐車場で小さな電気カートに乗せて、まずはアクセルとブレーキ、直線で動いて止まる。それができたらパイロンを立てて、周回を作ってあげて。『なんかできるかも』と思っていても、その時も笑顔はないです。緊張感でこわばっていて。でもやろうとするんですね。その女の子はレースなんか知らないし、サーキットも来たことがない。全くわからないまま連れてこられたけれど、その後夕方になって、本物のカートコースをひとりで走って、タイムアタックを完走しました。最初に泣いた女の子は、ピットに帰ってきてから、バイザーの中は満面の笑みでした」

「その子にとっては、最初は不可能だと感じたんだと思います。こんなの自分は好きじゃないしできない。でもやってみたら、楽しかった。楽しいから、もっとやってみよう。周りにうまくできる子がいるのが悔しい。自分ももっとできるはずだ。そうして力を振り絞ってその子は一周を走りきったんですね」

「それは素晴らしいことだと思います。できないと思った瞬間、誰かが背中を押してあげないと『やってみよう』という力は出てこなくて、子どもたちは動けないんです」

「そういう一連のプロセス、ゴーカートを使った『With you Japan』という非日常のみんなが知らない世界を見せてあげることで、目標を達成した時の楽しさと感動を忘れないでほしいんですね。それこそがまさに、僕が一番伝えたいことです」

「『No Attack, No Chance』を自分のモットーとしてやってきましたが、夢を持つことの大切さ、そして挑戦し続けることの楽しさを、自分自身も今年改めて学んだような気がします」

「それを多くの日本の子どもたちに伝えていきたい。そして、復興支援につなげていきたい。この勝利を皆さんと一緒に分かち合っていきたいです」

「ホンダの一員としてここまでこれたことを、感謝とともに誇りに思います」

「新たな夢ができました。今、ポイントランキング3位につけています。先日のテキサスのレースで、シーズンの折り返しを迎えました。(シーズンが終わる)9月まで目一杯走って、チームと共に選手権タイトルの獲得を大きな目標として頑張っていきます」

「次回みなさんの前にこうやってお会いできるのは、10月のF1日本GPだと思うんですけども、その時にはまた新たに優勝報告ができることを、希望にして頑張っていきたいと思います」

※『With you Japan』とは、東日本大震災で被災された方への長期的な支援を目指して、琢磨が立ち上げたプロジェクト。東北を中心に活動の輪を広げており、様々なチャリティ企画を通じて子どもたちへの支援活動を行っている。その活動の一環として、「TAKUMA KIDS KART CHALLENGE」というカートの楽しさを通して復興支援の活動の輪を全国に広げていくことを目指しているプログラムがある。