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【突破力 地方創生を担う企業】小林製麺工業(本社・福岡県うきは市)

6/15(木) 7:55配信

産経新聞

 ■地元の恵み詰まった絶品ラーメン

 チキンベースの透明なスープに、薄黄色の麺が映える。スープを一口飲むと、トマトの甘味と酸味が、バランスよく広がる。

 「私も最初、麺とトマトが合うはずがないと考えたが、地元の恵みがぎゅっと詰まった絶品となった。ラーメン業界の常識を超えたラーメンです」

 4代目社長の小林稔男氏(53)は、「福岡トマトラーメン」の味に胸を張る。

 トマトラーメンは、地元農協の依頼から誕生した。

 小林氏は、福岡県が平成19年に開発したラーメン専用小麦「ラー麦」を、どう使おうか考えていた。つけ麺用の商品を販売したが、売り上げは伸びなかった。

 そんな中、JAにじの担当者が持ち掛けた。「地域で生産が盛んなトマト『桃太郎』のピューレを、スープに使えないだろうか」

 それほど気は進まなかったが、トマトについて調べ始めた。抗酸化作用のあるリコピンなど、身体に良い成分が多く含まれることが分かった。

 「万人に愛されるラーメンと組み合わせて、身体に良いラーメンを作ろう」

 小林氏は決心した。

 スープに加えるピューレの量を微妙に調整し、試作を繰り返した。ラー麦麺のうま味と、トマトの味が引き立て合う配合を探った。

 妻の雅子(もとこ)さん(48)と夫婦で、納得のいく味を求めた。レモン果汁やコンブエキスも加えた。

 休日返上で開発にあたった。平成25年、トマトラーメンが完成した。徐々に評判を呼び、28年度は1万5千袋が売れた。

                 × × ×

 福岡県の浮羽地方は、麺どころだ。

 現在で言えば大分県との県境に位置する。耳納(みのう)山地沿いで、地形や気候から、米作に向かない土地が多かった。

 江戸時代になり、5人の庄屋が治水工事に取り組んだ。田を作り、米の裏作として、麦の栽培が盛んになった。やがて、小麦を使って、そうめんが作られるようになった。

 明治時代に入ると、製麺業者が一気に増えた。そうめんや、うどん(乾麺)が、石炭産業でにぎわう筑豊エリアへ出荷された。

 島原(長崎県)や神埼(佐賀県)と並び、九州の三大麺どころと称されるようになった。

 この土地で日露戦争後の明治39(1906)年、初代の小林喜三郎氏が製麺業を始めた。

 創業から1世紀以上が経過するが、麺作りの工程は大きく変わらない。

 小麦粉など原料と水を練り込み、生地を作る。ローラーで均一の厚みとし、カットした後、竹の棒に麺をつるす。ここで99時間、乾燥させる。従業員は湿度と温度を微調整しながら、熟成を待つ。長年の経験が物を言う作業だ。

 ただ、伝統の上にあぐらをかかず、商品開発に努める。昭和39年、業界で初めて、半生のチャンポン麺を製品化した。

 自社だけでなく、地場産業の振興にも力を注ぐ。

 地元の製麺業者でつくる「うきは麺研クラブ」に加入する。毎年5月に開かれる「麺祭り」では、そうめん流しが人気行事だ。

 クラブ加盟社は昭和40年代の10社から、6社に減った。それでも、アイデアを競いながら、時代に合った商品を開発する。

 小林氏は、トマトラーメンのおいしい食べ方を教えてくれた。最後までスープを飲み干さずに、ご飯や粉チーズを加えると、リゾットのようになるという。

 小林氏は「雑貨店や土産店をターゲットに売り込み、さらなるヒット商品に育て上げたい」と語った。(村上智博)

最終更新:6/15(木) 7:55
産経新聞