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巨人・鹿取GM 長嶋氏にも盾突いた“いごっそう”エピソード

6/15(木) 9:26配信

日刊ゲンダイDIGITAL

 13日、巨人のGM兼編成本部長への就任が発表された鹿取義隆GM特別補佐(60)は会見で、「急にこういう話がきて驚いている。巨人のOBとして真摯に受け止め、しっかりとやっていきたい」と話した。

 辞任した堤辰佳GM(51)は読売新聞グループ本社社長室次長へ“異動”。志半ばで球団を去ることになったが、チーム内では「三軍を創設するなど育成の必要性を誰よりも認識しながら、上(読売上層部)から『補強をしなけりゃ勝てない』と叱責され、補強をしたらしたで、『見る目がない』『若手が育たない』と文句を言われる。揚げ句の果てに、チーム低迷の責任を押し付けられて事実上の解任。堤さんは気の毒だった。鹿取さんだって、結局は同じような目に遭うんじゃないか……」という声が多い。

 読売上層部の意向に現場が振り回される、そうした構造が変わらない限り、誰がGMになっても一緒、と悲観するのだ。

「ただ、前GMと新GMが決定的に違うのは、読売のサラリーマンではなく、指導者としても豊富な実績と経験がある元選手ということ。必要以上に上層部の顔色をうかがわずに済むし、球団初のプロ野球経験者のGMとあって、上だって介入しにくい雰囲気にはなるんじゃないか。しかも、鹿取はコーチ時代、長嶋さんにも原にも遠慮なく意見を言った。保身を考えるタイプじゃないからね」

 と、古株の巨人関係者は言う。

 監督に言われるがままに投げまくった現役時代の従順なイメージとは逆に、物事をはっきりと言う性格。97年に現役を引退し、長嶋監督政権下で指導者になると、それが如実に表れた。99年に一軍投手コーチに昇格すると、00年にはチーム防御率を改善して日本一に貢献。にもかかわらず、この年限りでユニホームを脱いだのは、当時の長嶋監督との関係が悪化したからだ。

「投手起用を巡って、監督に遠慮なく意見を言った。惜しみなく投手を使う長嶋監督に対し、『そんなことをしていたら、シーズン終盤まで投手が持ちません。ダメです、考え直してください!』と面と向かって言っていたからね。当時の投手陣やフロントを感心させたものだよ。02年の原監督就任時にヘッドコーチとして戻ってきて、投手陣を整備していきなり日本一になったが、2学年下の原監督に対しても同じだった。唯一、意見を言い続け、それでも独善を強め始めた原が、投手起用を自身のホームページで発表したりするようになると、『ついていけない。自分がいる意味がない』と2年で退団した」(前出の巨人関係者)

■母親を伴って仲人のお願い

 巨人OBの評論家、高橋善正氏も「筋が通った骨のある男」と言う。高橋氏は高知商の先輩にあたり、鹿取GMが明大から巨人にドラフト外で入団した当時の投手コーチでもある。

「鹿取が入団1年目を終えた秋、『地獄の伊東キャンプ』と言われる猛練習をやった。朝から晩までしごきまくったわけですが、『次、ダッシュ50本!』と指示を出すと、江川(卓)や角(盈男)なんかが、『えーっ、死んじゃいますよ』なんてブーブー言うわけです。『ん、なんか言ったか? はい、卓と角は10本追加!』なんてやってる中で、黙々と淡々とついてきたのが鹿取だった。投手としても、余計なことは言わずに、与えられた仕事をしっかりこなす。コーチとしては頼もしい選手でした」

 高橋氏が「こんなこともあった」と続ける。

「ある年のシーズン中、私のところに来た鹿取が『結婚します。つきましては、先輩、仲人をお願いできませんか』と言うのです。ガラじゃないと思って、『そういうものは、監督とか大学、高校の恩師に頼め』と2度、いや、3度断った。しばらくなにもなかったので諦めてくれたかと安心していると、オフになって私の自宅の呼び鈴が鳴った。玄関のドアを開けると、そこに鹿取が立っている。しかも、隣には高知から呼び寄せたお母さんもいるんです。お母さんにまで頭を下げられたら、さすがに断れない。頑固というか、こうと決めたら、それを貫く意志の強さはありますね」

 長嶋、原両監督にもそうしたように、鹿取GMが「土佐のいごっそう」ぶりを発揮し、球団や読売上層部の横やりもはねつけられるようなら、期待は持てるが……。

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