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尼子氏でおなじみ「月山富田城」、実は吉川・堀尾氏の遺構 松江で講演会

6/15(木) 7:55配信

産経新聞

 「吉川氏や堀尾氏が築いた遺構を見て、私たちは尼子氏に思いをはせている」-。近年発掘調査や史跡整備が進む島根県安来市の山城「月山富田城」をテーマにした講演会が松江市内で開かれ、講師の高屋茂男・県立八雲立つ風土記の丘学芸課長がこう指摘した。戦国武将・尼子氏の居城として知られるが、石垣など遺構の大半は後の時代に築かれたものだという。

 月山富田城は、尼子氏の居城として名高い戦国時代の山城。近年は、安来市教委が発掘調査や、樹木の伐採、遊歩道の整備などを進め、改めて人気が高まっている。

 高屋さんは遺構や遺物などを基に、富田城の変遷を解説した。

 「尼子氏は山頂部とその北側を中心に整備し、吉川氏が山麓部に城域をせばめつつ石垣を盛んに築いた」と説明。その後を受けた堀尾氏は、富田城を捨てて松江に移ったというイメージが強いが、「実は富田城に多数の瓦葺(かわらぶ)きの建物や土塀を設けるなどし、山中御殿なども整備した」と話した。

 また、堀尾氏時代の富田城を麓から見た光景は、「吉川氏の頃の石垣を生かし、瓦葺きの建物や土塀が林立した状況だったと思われる。城下町から月山全体が『要塞』のように見えるよう、視覚効果を狙った整備を進めたのではないか」と話した。

最終更新:6/15(木) 7:55
産経新聞