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【のびやかに・浜木綿子】(8)氷川丸との58年ぶり対面に胸熱く

6/15(木) 15:03配信

スポーツ報知

 長年の夢がひとつ、かないました。58年ぶりに、いまでは横浜・山下公園のシンボルとして知られる「氷川丸」と再会することができたのです。

 宝塚に入って7年目の1959年7月26日。戦後初のカナダ・アメリカ公演のため、横浜をたちました。天津乙女さん、寿美花代さんをはじめ、一行52人を乗せて。その船こそが氷川丸。カラフルなテープが飛び交い、約3000人のファンに見送られての船出でした。

 13日間かけて最初の公演地バンクーバーへ。4か月の滞在中、31か所で公演の長旅です。船内では英会話レッスンもありました。晴れの日の甲板では踊りの稽古。久しぶりに足を踏み入れ、デッキを歩いたとき、当時のことが走馬灯のようによみがえりました。

 今回、船体が目に飛び込んできただけで胸が熱くなり、涙があふれてきます。半世紀以上も昔に私たちを、遠く離れた国まで運んでくれた船が、いまも存在する。威風堂々としたその姿に、心の中で「あのときは本当にお世話になりました」とつぶやきました。

 客室は一等と三等。公演でトップを務めた天津さんがおられる一等のお部屋を興味津々で見に行ったものです。下級生の私たちは4人部屋の三等。係の方が気を利かせて案内してくださり、三等客室も見ることができました。寝返りを打つのも窮屈な2段ベットが2つ。2週間寝起きした場所は狭くとも、この上ない充実した時間でした。

 国際電話をかけるのも容易ではなく、固定相場制の時代で1ドルは360円でした。宿泊先のホテルである朝、色とりどりの服が窓越しに見える店がありました。「洋服を買おう」とルンルン気分で向かうと、そこはクリーニング店でガッカリしました。

 みんなは旅先から、せっせと絵はがきを書いて送っていました。現地ではバス移動。砂漠や荒野を見て地球の果てしない大きさを知ると同時に、海外で聞く「君が代」は、日本人であることを改めて考えさせるものでした。

 女性が男性を演じる宝塚の世界。斬新すぎると映ったのかニューヨーク・タイムズは辛口でしたが、その他の新聞は好意的な記事でした。でも、私たちは一喜一憂する間もなく、最高のものをお見せすることだけを考えていました。

 今回久しぶりに来てみると、らせん階段や食堂も、ほとんど当時のまま残っていました。記憶がさらによみがえってきます。記念に自分の携帯電話のカメラで船体を撮ろうと試みましたが、うまくいきませんでした。“歴史の証人”氷川丸を訪れられた幸せ。あのとき一緒に行った人たちに必ず報告します。見たこと全てを。きっと、みんなにうらやましがられるでしょう。(構成 編集委員・内野 小百美)

 【氷川丸】日本郵船が1930年に竣工(しゅんこう)した1万トン級の貨客船。北太平洋航路で運航。太平洋戦争中は病院船として使用。船名はさいたま市大宮区の氷川神社から。戦前に建造された大型船の中で唯一現存する貨客船。2016年、国の重要文化財に指定された。

最終更新:6/21(水) 13:00
スポーツ報知

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