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<PKO協力法25年>あり方、国民的議論を

6/15(木) 20:04配信

毎日新聞

 国連平和維持活動(PKO)への参加を可能としたPKO協力法の成立から、15日で25年が経過した。自衛隊はこの間、9件のPKOに部隊などを派遣し、武器使用の制限も緩和されたが、近年のPKOは文民保護のために武力介入も辞さなくなっている。最初の部隊派遣となったカンボジアPKOの経験者からは、改めて国民的な議論を求める声が上がる。

 やぶの中からポル・ポト派が襲撃してくるかもしれない。移動中は自然と腰の拳銃に手が伸びた。

 元陸将補の石下(いしおろし)義夫さん(64)=栃木県矢板市=は、1993年にカンボジアPKOの陸上自衛隊施設大隊で第2次隊隊長を務めた。総選挙(93年5月)の最中の緊迫した日々を今も思い起こす。

 カンボジアでの任務は道路や橋の補修が中心のはずだった。だが、派遣中にカンボジア共産党を母体とするポル・ポト派が選挙への不参加を表明。日本人の国連ボランティアや文民警察官が殺害されるなど、治安が悪化した。ポル・ポト派が日本の部隊を襲撃するとのうわさも流れ、現地で急きょ襲撃に備えた訓練などに追われた。

 特に悩んだのが日本人ボランティア41人を含む選挙監視要員の安全対策だった。施設部隊に警備任務は許されていない。武器の使用も隊員の身を守るための正当防衛や緊急避難の場合に限られていた。日本政府がひねり出したのが道路補修の「情報収集」名目で投票所を回り、襲撃されれば隊員が「正当防衛」で応戦する案だった。

 ただ、この任務は派遣前に隊員には説明されておらず、戸惑いが広がった。石下さんは任務に納得した隊員を選抜して「いざという時はためらわずに武器を使え」と指示し、6日間の投票期間中、最大8チームに分かれて投票所を回った。犠牲者が出れば自衛官を辞める覚悟だった。「一日一日が長かった」という。

 結局、ポル・ポト派の襲撃はないまま選挙は終わり、撤収まで1人の犠牲者も出すことはなかった。

 あれから24年がたち、自衛隊員の海外派遣は当たり前になった。当時はできなかった「駆け付け警護」も法的に認められるようになるなど、武器使用の権限も拡大されたが、自衛隊が海外で敵に発砲したことはまだない。

 PKOは今、文民保護のため、積極的に武力介入する方向に変わりつつある。石下さんは「法律的には普通の武装集団としてやるべきことができるようになったが、実際の武器使用に対する心理的なハードルは高い」と話す。「実際に戦闘が起き犠牲者が出ることへの心構えができているのか。25年間の活動を検証し、これから日本がPKOにどう関わるべきか道筋を決めてほしい」と議論を呼びかけた。【前谷宏】

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 ◇カンボジアPKO

 ポル・ポト派による国民の大量虐殺など約20年にわたる戦乱を経て、国連の暫定統治機構が1992~93年、憲法制定議会選挙と新政権樹立まで行った平和維持活動。日本にとって初めての本格的なPKOへの参加で、自衛隊の施設大隊延べ約1200人のほか、75人の文民警察官や16人の停戦監視要員らが派遣された。派遣中に邦人の文民警察官らが殺害されるなど治安対策が課題となった。

最終更新:6/15(木) 20:21
毎日新聞