ここから本文です

2年前から理由なく怒鳴られ、風呂も入れず 男の我慢限界、平手一発で最悪の結果に

6/15(木) 10:57配信

産経新聞

 隣の住宅に住む高齢女性を殴って死亡させたとして、傷害致死罪に問われた栃木県足利市緑町、電気工事業の男性被告(46)の裁判員裁判の判決公判が6月1日、宇都宮地裁で開かれ、佐藤基(もとい)裁判長は懲役3年、執行猶予4年(求刑懲役5年)を言い渡した。アパート暮らしの被告は約2年前から、隣の一軒家に住む被害女性に理由もなく怒鳴られるようになり、黙って耐えていたが今年1月、平手で一発たたいて転倒させ、死亡させたのだった。

 「自分だけが我慢していれば…」。裁判で浮かび上がったのは、最後まで他人に相談できず、最悪の選択をしてしまった被告の姿だった。一人で問題を抱え込んだ結果の代償は大きかったが、被害者の親族を含めて同情的な証言が法廷で示され、被告は人生をやり直す機会が与えられた。

 人にけがをさせ、死亡させる傷害致死事件は、国民から選ばれる裁判員裁判の対象だ。判決によると、今年1月30日午後10時5分ごろ、自宅前の路上で、隣の無職女性=当時(92)=の顔面を殴って転倒させ、外傷性くも膜下出血などで死亡させた。

 被告は平成20年ごろから、アパートの角部屋に一人で住み始めた。隣の一軒家に住む被害女性が、被告のアパートに向かって怒鳴りつけるようになったのは、27年8月ごろからだった。「2階の男! 音がうるさい!」。2階に住んでいるのは自分だけ。被告は、自分が標的にされていると感じた。検察側の冒頭陳述によると、女性には精神疾患があったとみられる。

 月1、2回の頻度で怒鳴られるようになったが、被告は「引っ越しは金がかかるのでできない。兄弟に迷惑をかけたくないからカネを貸してほしいと言えなかった。ひたすら我慢すれば、(女性が怒鳴るのを)やめてくれるのではないかと思った」と耐え続けた。日常音にも異常に気を付け、ボイラーの音を出さないため、風呂に入るのもやめた。生活の中で少しでも音を立てると緊張するようになった。「風呂に入りたい」。だが、我慢に我慢を重ねた。昨年12月末からは扉を叩かれ、路上から怒鳴られるようになった。

 事件前日の1月29日。「毎晩うるさい」。怒鳴られて、そう言い返した。そして30日夜。「2階の男、降りてこい」。1人で晩酌をしていた被告は、ささやかな一日の楽しみを邪魔され、怒りがこみ上げた。限界が来た。「今から行くから待ってろ」。小走りに女性に駆け寄り、平手で顔をたたいた。女性は路上に転倒。くも膜下出血などで死亡した。

 公判で、検察側は被告に同情する関係者の供述調書も読み上げた。被害者の訪問看護師は「女性は被害妄想を抱いていて、隣のアパートに怒鳴り声を上げていた。家に置いておくのは最良の方法ではなかった。でも、『夫と一緒にいた家からは離れたくない』と言って入院は拒んでいた」とした。

 また、女性の息子は供述調書で、「母は80歳を過ぎたころから、『いたずら電話がかかってくる』などと言い始めた。入院も拒んだ。私の妻に対しても『通帳を盗んだ』『判子を戻してくれ』と言っていた。今から考えれば、縄で縛ってでも入院させれば良かった。隣の男性も被害者で、加害者は病気です」と、被告への同情も示した。

 弁護側による被告の父親に対する証人尋問では、被告の半生が語られた。被告は6人兄弟の長男。幼少期に母親が浮気し、サラ金から4千万円を借りて男性にみついでしまい、両親は離婚。6人兄弟は母親に引き取られ、被告は父親代わりに小学生のとき、新聞配達を始めた。中学卒業後は定時制高校に通い、昼間は会社へ、夜は別のアルバイトをして家計を支えた。

 弁護士に当時の被告について聞かれると、父親は「不平不満は一切言わなかった」と、肩を震わせて一気に泣き出した。傍聴席でもハンカチで目頭を押さえる人がおり、すすり泣く声が聞こえた。「我慢強い性格。何一つ問題を起こさない。今も変わっていない」。事件後に被告に面会した時も、変わらぬ大人しい様子だったという。

 「なぜ周囲の人に相談できなかったのか」との問いに、父親は「自分で全部引き受けて…。兄弟には迷惑を掛けたくないと思ったのでしょう。相談してくれれば良かったのに」と、被告の性格を推し量った。幼少期から母子家庭の6人兄弟の長男として、愚痴もこぼさず、ひたすら真面目に働いてきた被告。裁判の中でも、女性被害者からの罵詈雑言に「自分だけが我慢していれば」と思っていたことを繰り返し証言した。

 執行猶予付き判決を言い渡した佐藤裁判長は、被告に対し、「これで刑事裁判は一定の区切りとなったが、まだ人間としてやるべきことがあるはず。心配している親族のために、恩返しをする形で生きてください」と説諭した。被告は深く一礼して椅子に腰掛け、顔を真っ赤にして、声も出さずに泣き出した。裁判終了後、4人の裁判員が記者会見に出席した。40代の女性は「被告は物静かな感じで温厚そうだった。被害者に対する怒りに同情した」と話した。

 隣人同士のトラブルが、死亡事件にまで発展した最悪のケースだった。幼少期からの我慢強い性格は一方で、誰にも相談しないという悪循環につながった。それでも、裁判長の言うように、「物に当たってもいいから人を殴ってはいけない」と踏みとどまれなかったのか。被害者の無念の思いも背負い、生きてほしいと思う。(宇都宮支局 斎藤有美)

最終更新:6/15(木) 17:37
産経新聞