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さいとう・たかを氏、ゴルゴ13にも通じるプロの流儀 連載50年目「生きているかぎり続ける」

6/16(金) 16:56配信

夕刊フジ

 【ぴいぷる】

 国際舞台をまたにかけるスナイパー(狙撃手)の活躍を描いた『ゴルゴ13』の連載開始から、今年11月で50年目に突入する。それだけの歴史がありながら、今読んでも古さをまったく感じさせない。そこには、ある一つのこだわりがあった。

 「その時代の常識やその時代の価値観では書かないようにしてきた。それをやると、その時代しか通用しない。それを意識してやらないようにしてきたのが、何とか続いてきた理由の一つだと思っています」

 9日に発売された青年漫画誌「ビッグコミック」(小学館)では571話が掲載され、リイド社刊の単行本は184巻を数える。だが、連載を始めた当初は10話ほどで終わるつもりだった。

 「パターン分けをすると、例えば、宝探しや追いかけっこなど10ぐらいしか出てこなかった。だから、それで終わるつもりでした」と振り返る。

 ところが、そのとき、今も頭の中にコマ割りからセリフまで入っているという最終回を考えたことが、記録的な長期連載の礎になったという。

 「ラストがあるから、いくらでも書くことができた。つまり、いくら書いても挿話なんです。前と後ろがあって、挟み込んでいっている感じです。それが長く書けたもう一つの理由です」

 『ゴルゴ13』のほかにも多くの作品を手がけ、劇画家としてのキャリアは60年を超える。最も忙しい時代には、60時間連続で執筆を続け、わずかの仮眠を取って、再び48時間描くということもあった。そんな生活を送りながらも、連載を休んだことは一度もない。

 「(連載を)休むことを、『人気作家のステイタス』という感覚でいる人もいた。でも、ほかの仕事では、休むと違約金を払わないといけないでしょう。それが仕事というものです。だから私は『決して(原稿を)落とすまい』と決心して、一度も落としたことはないんです」

 主人公のゴルゴ13にも通じる徹底したプロ意識は、作家になる経緯からもうかがえる。劇画家を「夢」ではなく、「職業」として見ていた。

 中学2年のとき、手塚治虫の『新寳島(しんたからじま)』を読んだ。そのとき、「紙の上で映画みたいなことができるじゃないか。映画はものすごくお金がかかるが、漫画は簡単に映画と同じようにドラマを運ぶことができる。絶対、この仕事は将来伸びるなと思った」という。

 制作過程の分業化を図るため、プロダクション形式を取ることも劇画家になった当初から、構想を持っていた。

 「この仕事は絶対に一人でやれる仕事ではない。まず、(原稿の)枚数を書かないといけない。そして、いろいろな才能を持ち寄らないといけない。例えば、ドラマを考える才能と絵を描く才能は別のものです。そこに構成もできないといけないんです」

 そうした意識はさいとう・プロダクション内の呼び名にも表れている。作品づくりを手伝ってくれる人を一般的な「アシスタント」でなく、「スタッフ」と呼んでいるのだ。

 プロダクションを設立したのにはもう一つ、「プロデューサーになる」という狙いがあった。「映画で言うと監督ができる人材を中心に、周りにスタッフ5、6人を集めて1作を作る。そういう核をいっぱい作っていきたかったんです」

 ところが、「監督役」を期待した人材は次々と独立し、もくろみが外れた。「自分で描かなければならなかった。描き手として、こきつかわれてきたんです」と笑う。

 昨年、『ゴルゴ13』と並ぶ長期連載だった秋本治さんの『こちら葛飾区亀有公園前派出所』が40年にわたる連載を終えた。「やめるということを聞いたとき、『もうちょっと頑張ってくれればいいのにな』とは思いましたが、さみしいとか、そういう感覚はなかったですね」と語る。

 80歳になった今も休むことなく連載を続けているが、やはり気になる。思い切ってストレートに聞いてみた。

 『ゴルゴ13』はいつまで続きますか?

 「どうでしょう。私が生きていて仕事ができる限りはやりますよ。どこまでやれるか。とことんやってみます」 (ペン・森本昌彦、カメラ・酒巻俊介)

 ■さいとう・たかを 劇画家。本名・斉藤隆夫。1936年11月3日、和歌山県生まれ。80歳。55年に『空気男爵』でデビューし、大阪を中心に貸本向け漫画誌で活躍。その後上京し、「さいとう・プロダクション」を設立し、ヒット作を量産する。代表作は『ゴルゴ13』のほか、『鬼平犯科帳』『影狩り』『無用ノ介』『サバイバル』などがある。今年、シナリオと作画の分業で制作されているコミック作品を対象とする「さいとう・たかを賞」が創設され、来年1月に授賞式が行われる予定。

最終更新:6/16(金) 16:56
夕刊フジ