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北方領土離れ70年、那珂の佐々木さん「返還いつか達成を」 茨城

6/16(金) 7:55配信

産経新聞

 ■交渉難航「一歩ずつ前進…数年以内は厳しい」

 日露両政府による北方領土返還交渉が続く中、18日には北方領土への航空機による元島民の墓参が初めて実施される。国後島の古釜布(ふるかまっぷ)出身で、那珂市在住の佐々木富彦さん(80)は昭和22~23年に旧ソ連による強制退去で北海道函館市に送還された。島を離れてから70年近くたった今も故郷への思いは強く、「いつか返還を達成してほしい」と願う。難航する交渉は元島民の目にどう映っているのか-。 

 「樺太の港に日の丸を掲げた船が迎えに来たときは涙が出た」

 佐々木さんは送還の際、一時抑留されていた樺太に日本の船が来航したときの様子をこう述懐し、「甲板で日本の乗組員が手を振っていた。『故郷に帰ってきた』という気持ちになった」と語る声は震えていた。

 ◆就職、薄れた気持ち

 終戦直後の昭和20年9月から約3年間、当時小学生だった佐々木さんは旧ソ連による占領下にあった国後島で生活を送った。「何もかもが制限され、近所の人たちもちりぢりになってしまい、辛かった」と振り返る。

 祝日でも日本国旗を掲げることは許されず、町には独裁者スターリンの看板や像が乱立していた。旧日本軍人だった父親の写真は発見された際の処罰を恐れ、燃やしてしまったという。

 強制退去の直後は「すぐに(国後島へ)帰れるだろう」と考えていた。だが、3年、5年と年月を経ても返還は実現せず、当時のニュースを見て、「戻れないな」と肩を落とした。同時に「何としても島を取り返さなくては」という思いも強くなった。

 しかし、高校卒業後、日立製作所への就職が決まり、日立市に移り住むと、仕事に追われ、生活基盤もできた。同時に「島に対する気持ちも薄れていった」という。

 ◆荒れ果てた故郷

 転機は20年ほど前だった。「ビザなし交流」で、強制退去後、初めて国後島を訪れた。だが、訪問前の平成6年に起きた北海道東方沖地震による津波で故郷の街は流され、荒れ果てていた。

 露政府による復旧もほとんど進んでおらず、「これが私の故郷か」と愕然(がくぜん)とした。佐々木さんは「島のことをロシアに任せておけない。絶対に取り戻さなければ」と気持ちを奮い立たせた。

 佐々木さんは、安倍晋三首相が進める返還交渉に期待を寄せる。「一歩ずつ前進していると思う。交流の頻度を増やしたり、短時間で訪れたりできるようになれば、島内で日本の存在感を増すことができる」と話す。ただ、「返還は簡単ではない。数年以内に、というのは厳しいだろう」とはがゆさをにじませる。

 佐々木さんは体調の問題で18日の訪問を見送るが、次の機会には参加するつもりだ。

 日本固有の領土であるにもかかわらず、旧ソ連とロシアが70年以上にわたって占領してきた北方領土。佐々木さんは「法的にも歴史的にも、北方領土はロシアのものではない」と訴える。そして「返還は元島民の誰もが抱いている願いだ」と語った。(丸山将)

最終更新:6/16(金) 7:55
産経新聞