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カネボウ破たんからの再生 石橋クラシエ社長、「少しいい『未来』に立っている」

6/16(金) 10:01配信

ニュースソクラ

わが経営を語る 石橋康哉クラシエホールディングス社長に聞く(1)

 経営破綻したカネボウの事業を引き継いだカネボウ・トリニティ・ホールディングスが、現在の社名に変わって7月で10年になる。事業を譲渡した後のカネボウ自体は解散した。カネボウ化粧品入社の石橋康哉社長は、旧経営陣の総退陣に伴いカネボウの取締役に起用され、副社長を経て8年前に現職に就いた。クラシエとして再出発した苦闘の経営を語る。

 ――産業再生機構の支援を2004年に受けたカネボウを、ファンドが買い取り06年5月にトイレタリー、医薬、食品の3事業で構成するカネボウ・トリニティ・ホールディングスを発足させました。この間に化粧品、繊維など37事業が他の企業に売却されて、07年7月1日にクラシエホールディングスとして新たにスタートを切ったわけです。それからの10年を振り返って、どのような感慨を持っていますか。

 アイドルグループSMAPの「夜空ノムコウ」という歌に、「あのころの未来に ぼくらは立っているのかなぁ」という歌詞がありますね。それになぞらえて言えば、10年前に私が思い描いた夢よりちょっといい位置に今立っているという思いがすごくしますね。

 かなり傷ついたとはいえ「カネボウ」は金看板でしたから、実は「クラシエ」への社名変更には不安がものすごくあったのです。地に落ちたとはいえ、まだカネボウと言えばどこへ行っても、まず話は聞いてもらえました。新社名は全社員による公募で決めたのですけど、一般には全く認知されていない企業名でスタートするわけです。

 私たちは消費財メーカーですから、これがお客様に受け入れられるだろうか。例えば医薬は「カネボウの漢方薬」という信頼があって使っていただいていた。同じ工場で同じ人間が同じように造っていますと言っても、知らない名前のメーカーの薬に変わるわけです。

 お客様は果たして手に取ってくださるだろうか。小売店さんは今まで通り店に置いてくれるだろうか。それを考えたとき、空恐ろしかったですよ。結果的に何とか踏ん張れて、商品にもよりますが、それほど落ちず、流通の方々にも支援していただきました。当初の不安を乗り越えられた時、これはいけるかもしれないなと思い始めましたね。

 ――120年の歴史があった名門企業「カネボウ」のブランドを失ったわけですからね。

 10年前の6月29日、「カネボウわれら」と社歌を斉唱した最後の日、社員に言ったのです。「油絵で言えば、100年塗り重ねられた上に、必死になって私たちの色を塗ろうとしても、思い通りの色が出せないこともあったじゃないか。クラシエという真っ白なキャンバスならば、俺たちの好きな色を塗れるのだから、チャンスだと思ってやろうよ」と。

 こうでも言わないと、私もそうですけど、やっていられませんでした。とはいえ、真っ白なキャンバスは世の中から拒否されることもありますから、不安でしょうがなかったですよ(笑)。

 私も社員も電話する時、「クラシエの○○です」と言っても「ああ?」です。「元カネボウのクラシエです」が、半年、1年だったか必要でした。中には「何で社名を変えるの?」と言う人もいました。OBから「お前らカネボウを捨てやがって」と怒られたこともありますよ。僕らが好きで捨てたのではないのですがね。

 花王がカネボウ化粧品を「カネボウ」というブランドと一緒に買ったので、私たちは変えざるを得なかったのです。社員に「変えざるを得ない」とあまり言うと、勢いをそぎますから、2年の間に変えなさいと言われていたのを半年ほど早めて自ら変えるんだという姿勢をアピールしました。

 ――思った以上に、実際にうまくいった要因は何ですか。

 志が低いとも言われましたが、一度つぶれた会社の私たちが目指すのは「普通の会社になる」ことだと宣言しました。

 私が思う「普通の会社」とは、社員によくこう話しました。一生懸命に仕事をしたら報われる。結婚して子供ができて、家を建てるのに銀行に行って35年のローンをたやすく組める。そうしたことを社員が普通にできる会社です。

 一番混乱した時期には、銀行ローンを申し込んだら審査で止められたとか、ボーナスが出なかったとか、想像もしなかったことが起きたのです。だからそんなことのない普通の会社にまずなろうと、みんなに呼びかけてスタートしたわけです。今のクラシエは、私が当初考えた「普通」より少しいいところまで来られたかなと思っています。

 それができたのは、みんなが意地を持っていたからです。誰かが号令したわけではないのですが、絶対にもう一度よくするんだという意地が、それぞれの職場に残った人たちにありました。

 この会社には将来が無い、未来が見えないと、離れて行く人が当然いました。一方、この船でみんなと一緒に沈むんだと覚悟を決めた連中が残ったのです。その意地みたいなものがスタート時に最大の力になったと思います。

 そういう連中と酒を飲むと、「絶対に見返してやりましょうよ」といった話が出ました。見切りをつけて出て行った人たちに「俺たちの選択は失敗だったかな」と思わせてやりたいとね。

 ――敗北主義は残った人たちには無かったのですね。

 ほとんどありません。社長以下役員など上は総入れ替えで、私たちが特に悪いことをしたという意識は無いのです。いろんなことが何年も積み重なって、カネボウは破綻したのです。

 ただし粉飾など、いろんなことの一部には自分たちも関わっていたという反省はありますが、自分たちが主役でやったわけではない。今度は私たちが主役で前に進むんだという思いだけでした。

(次号に続く)

■聞き手 森 一夫 1950年東京都生まれ。72年早稲田大学政経学部卒。日本経済新聞社入社、産業部、日経BP社日経ビジネス副編集長、編集委員兼論説委員、コロンビア大学東アジア研究所、日本経済経営研究所客員研究員、特別編集委員兼論説委員を歴任。著書に「日本の経営」(日経文庫)、「中村邦夫『幸之助神話』を壊した男」(日経ビジネス人文庫)など。

最終更新:6/16(金) 10:01
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