ここから本文です

露木茂「現場に居よう見よう感じようを自分の信条としました」

6/16(金) 6:40配信

ニッポン放送「しゃベル」

6月15日(木)のニッポン放送「高嶋ひでたけのあさラジ!」に、「小川宏ショー」から報道番組まで、元フジテレビアナウンサー・露木茂が登場。「レジェンドアナウンサー連日登場!いろんなことがありました!」と題してアナウンサー歴半世紀以上のレジェンドたちに、今だから語れる数々のエピソード・秘話を訊いていく企画の4日目だ。

高嶋)時代と感動と驚きを伝えてきたレジェンドアナウンサーが連日登場!
4日目は、数々の事件・事故の現場から その事実を伝えてきた、元フジテレビアナウンサーの露木茂さんです。

高嶋)露木さんは私より2つ先輩。噂では、無試験でフジテレビに入社したなんて話もありますが…(笑)

露木)そんなわけないでしょ。ちゃんと試験を受けましたよ。徳光くんが筆記試験で落ちただけ(笑)

高嶋)アナウンサー歴は何年になるんですか?

露木)もう55年ですね。フジテレビを辞めてからは15年になります。

高嶋)これまで数えきれないほどの事件・事故の現場を取材されていますが、特に印象に残っているのは何ですか?

露木)やはり現場に居ることの重要性を感じたのは、昭和41年に札幌雪まつりの観光客を乗せた航空機が羽田沖に墜落した事故。

----------
※1966年(S.41)2月4日に起きた航空機事故。
東京湾の羽田空港沖に全日空ボーイング727-100型機が墜落した。
合計133名全員が死亡。単独機としては当時世界最悪の事故となった。
----------

私はずっと遺体の安置所となっていた増上寺で取材をしていました。
何時何分にどなたのご遺族が来られて、どういう表情だったのか…。
夕方から翌朝まで取材を続けて、翌朝の放送でその様子を伝えました。
その時に、現場を自分の目で見ることの大切さを教わりました。
当時25歳くらいだったと思います。そこから、“自分は現場に居よう、現場を見よう、現場で感じよう”ということを自分の信条としました。

高嶋)なるほど。そのときの経験が、ある意味、原点になっているんですね。

露木)そして、御巣鷹の尾根の航空機事故も印象に残っています。

----------
※1985年(S.60)8月12日に起きた航空機事故。
群馬県の高天元山の屋根、通称・御巣鷹の屋根に日本航空123便が墜落。
乗員乗客524名のうち、死亡者数は520名、生存者は4名だった。
----------

露木)事故の翌日(13日)、午前11時30分からのニュース番組をやっていて、僕が準備をしていたら、生存者発見の一方が入ってきたんです。
そこで、僕は用意されていた原稿を捨てて、送られてくる映像を観ながら、すべてアドリブで30分のニュースをやりました。
事故の発生以降、僕も「誰か助かっていてくれ」と願っていましたし、視聴者も同じように「誰か助かっていてくれ」と期待があったと思います。
あれは、そんなお互いの波長がピシッと合った忘れられない一瞬でしたね。

高嶋)私が露木さんで思い出すのは、1982年の航空機事故。
機長が着陸直前に逆噴射をして、航空機が羽田沖に墜落した事故なんです。

----------
※1982年(S.57)に起きた航空機墜落事故。日本航空350便の機長が、着陸直前に逆噴射装置を作動させたことが原因で機体が羽田沖に墜落した。
----------

あの事故が起こったのは、あさ8時30分ころ。私も朝の番組を担当していて、車で現場に急行したんです。でも実際に空港に到着すると、どこへ行ってよいかわからず立ち往生…。すると、露木さんが 私たち取材陣の横を自転車で走り抜けて行って、滑走路の先端に向かっていったんです。あの機動力には驚きましたね。

露木)あの事故の前日にホテルニュージャパンの火災がありましたよね。あの火災でも増上寺が遺体の安置所になっていて、翌朝も増上寺の前から中継をしていたんです。するとそこに事故の一報が入ってきました。増上寺から羽田空港はそれほど遠くないので、すぐに急行しました。
もともと羽田駐在の記者もいましたが、外から来た記者は僕が一番乗り。でも、滑走路の先端までは1,500mほどあるので遠い…。
どうしたものかと思っていたら、整備工場にあった自転車が目に入って…、本当に申し訳ないと思いながら、ちょっと無断で拝借したんですよ…。

高嶋)そういうことだったんですか。それにしても、颯爽と自転車で駆け抜けていく露木さんは目立ちましたねー。
今でも覚えています。

露木)いやいや、本当に申し訳なかったですね。

高嶋)話はコロッと変わりますが…長いアナウンサー生活の間には、女子アナブームもありましたよね。今までで露木さんがやりやすかった女子アナってどなたですか?

露木)八木亜希子、河野景子は一緒に組んでいてやりやすかったですね。相手の立場や、相手の喋っていることをよく聴いていて、相づち一つでも、周りの空気を読みながらキチンと対応していましたから。メインの人を邪魔せず、必要なときに必要なアドバイスができる人って、意外と少ないんですよね。
僕は小川宏ショーのアシスタントを18年間やりましたから、彼女たちの立場がすごくよくわかるんです。
女子アナウンサーの採用についていえば、ずっとチヤホヤされてきた人は、人を思いやる気持ちを持たずに大人になっているケースも多いです。同じ美人を採用するのなら、相手の立場を理解して思いやれるような、心の美人を採用しないとダメでしょうね。

高嶋)これまでに失敗やハプニングのようなものはありますか?

露木)実は、フジテレビの「NG大賞」という番組は僕がきっかけでして…
1986年に有楽町で3億円の銀行強盗事件が発生したんですね。僕はそのニュースを報道センターから伝えることになっていたんですが。イヤホンをつけていなかったので、スタジオから呼びかけられたことに気付かず、画面が切り替わった時にスタッフと笑顔で話していたんですよ。そのあと、改めて呼びかけられて、真面目にニュースを伝えたんですが、「そのギャップが面白すぎる!」「これをテーマに番組をやりたい」とプロデューサーに言われて、それがきっかけで「NG大賞」が始まったんです。

高嶋 映っていると思っていない時に しっかり映っていたと(笑)

露木)そうなんです(笑)やった瞬間は「これでアナウンサー人生も終わりかな」と思ったんですが、誰からも非難されたり、叱られたりしませんでしたし、新しい番組にもなったので、まぁ…誇れる失敗というか(笑)

高嶋)露木さんはアナウンサー界のエリートという印象もあったんですが、こうしてお話すると、普通のおじさんの面もあって…驚きました。

ニッポン放送