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<コール元独首相死去>「欧州統合と独統一を並行」信念に

6/17(土) 1:12配信

毎日新聞

 コール元首相の最大の業績は、経済的負担を危惧する世論を説得し、極めて「短期間」にドイツ統一という難事業を成功に導いたことだ。ベルリンの壁崩壊は1989年11月だが、わずか11カ月後の90年10月3日、欧州中央部に人口8000万人の大国を誕生させた。

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 当時は、強大な「一つのドイツ」への警戒が英仏などで根強く、西独国内でも経済格差のある東独を抱え込むことに経済・財政面で反対論があった。だが、「統一の好機は今」との信念は揺るがず、各国の首脳から「ドイツ自身の選択を尊重する」との言質を必死に確保して回った。

 コール氏を長年取材したジャーナリストのフィルマー氏とシュワン氏は共著の伝記の中で、コール氏の特性を「決定的な局面での嗅覚と決断力」と分析する。その政治スタイルは「過度な情熱もなく感傷とも無縁。ただ実行への強い意思を持つ」。この特性が20世紀国際社会の大転換期に見事に発揮された。「欧州統合とドイツ統一を並行して進める」との姿勢を崩さず、強大化への懸念払拭に努めたことで国際的信用を勝ち得た。

 「米英仏などだけでなくソ連とも信頼関係を築いた首相がいたことは、我々にとって幸運だった」。メルケル独首相は当時をこう振り返る。東独出身でありながら、「コールのお嬢さん」と呼ばれるほど重用されたメルケル氏にとって、コール氏は政治家としての育ての親でもある。

 だが、当時コール氏が「将来は花が咲き誇る」と行く末を楽観した旧東独地域は、現在も1人当たり国内総生産(GDP)が旧西独市民の約7割にとどまり、メルケル政権の課題として残されたままだ。

 統一の「光」の後に「陰」が残されたように、自身の余生も波乱と孤独に満ちたものだった。ヤミ献金問題の行方を見届けるように、司法取引直後に夫人は病苦で自殺。長男はコール氏の冷酷さを非難する暴露本を出版した。敵味方を分ける姿勢が災いし、所属政党・キリスト教民主同盟(CDU)や仲間の政治家とも疎遠になった。

 96年、欧州統合をともに深化させたミッテラン元仏大統領が亡くなった際、追悼ミサでコール氏は巨体を震わせ、人目をはばからずむせび泣いた。2人が主導した欧州連合(EU)は今、英国の離脱への動きなどで亀裂も入った。欧州統合という夢を描いた巨人は旧友の元へ旅立った。道半ばの夢を軌道に乗せる作業は、後世に託された。【篠田耕一・前ベルリン支局長】

最終更新:6/17(土) 6:56
毎日新聞