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【のびやかに・浜木綿子】(10)森光子さんへのビンタに悩んだ「放浪記」

6/17(土) 15:03配信

スポーツ報知

61年初演で共演 忘れられない共演者の一人は、森光子さん(2012年死去、享年92)でしょう。初めてご一緒するのが、宝塚在団中に外部出演した舞台「がしんたれ」(1960年)。東宝演劇の屋台骨、菊田一夫先生の自伝的芝居でした。

 森さん演じる女流作家・林芙美子と、菊田先生がモデルの少年が食事する短い場面がありました。このやりとりを見た先生は、確信にも近い直感で、森さん主演の「放浪記」を決めるのです。

 芙美子の半生を描く「放浪記」初演は、61年10月。宝塚卒業から約半年の私は、芙美子のライバル、日夏京子という架空の人物役でした。劇中。2人の小説の、どちらかが文芸誌に載るという瀬戸際で、“事件”は起きます。

 芙美子は、自作が残るよう、預かっていた京子の原稿を締め切り過ぎてから送るのです。手段を選ばず作家としてのし上がっていく芙美子。成功を喜ぶ出版パーティー。そこに姿を見せた京子は、芙美子の頬を打ち、怒りをあらわにします。ここの演技に苦しみました。芝居とはいえ、人の顔はなかなか叩けるものではありません。

 「バカヤロー! 手加減するな。この役は大事なんだ。お前(日夏)の方が正しいんだ。対決なんだ」。菊田先生にどなられました。森さんも「叩いて」とおっしゃる。心を鬼にして臨みました。

 確かに悪いのは芙美子で、京子は間違ってはいない。しかしビンタした手のひらから京子は、作家としてのおぞましい執念の違いを思い知り、敗北を認めます。勇気を振り絞って演じたあの場面も、いい思い出です。初演から連日満員。でもこれほど長く愛されると、森さんも想像できなかった、とおっしゃっていました。

 菊田先生の気迫からも出演者の全員、役の真実性だけを求め、雑念など入る余地もありません。私が出たのは2年間ですが、初演に参加できたのは、幸せでした。

 翌62年の再演時にも、印象深いことがありました。森さんが重い風邪をひかれ、酸素吸入器が持ち込まれるほど悪化したときです。菊田先生に呼ばれ「君が、代役をやりなさい」と言われたのです。

 俳優失格と思われるかもしれません。27歳の私は生意気にも「出来ません」と拒否しました。膨大なセリフを一夜で覚える困難もさることながら、森さんが命懸けで演じておられる役です。絶対、他の者がやるべきでない。はってでもお出になる、と信じて疑いませんでした。

 実際、無理を押して気力で舞台を務められました。どこからか、私が代役を断ったことが、森さんの耳に入ったのでしょう。「あっこ(浜の愛称)ちゃん、ありがとう」とおっしゃったのです。「放浪記」は41歳の森さんが、自分の手でつかみ取られた初主演作です。あのときの森さんの気持ち…。いまになって十分過ぎるほど、私には理解できるのです。(構成 編集委員・内野 小百美)

 ◆「放浪記」 第1次世界大戦後の東京を舞台に飢えや絶望に苦しみながらも、したたかに生き抜く作家・林芙美子の生涯を描く。失恋を重ね、職も転々。力強い生きざまが共感を呼び、人気を呼んだ。初演は1961年10月、現在日比谷シアタークリエの場所にあった芸術座。帝国劇場で2009年5月30日千秋楽まで2017回上演。全て森さんが単独で主演。同作で国民栄誉賞を受賞した。

最終更新:6/22(木) 1:42
スポーツ報知