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【ハイ檀です】熊楠先生のセッコク

6/17(土) 7:55配信

産経新聞

 今年の梅雨は、一体何なのだろうか。あっけなく梅雨入りしたものの、一晩だけ畑が湿る程度に降った後は空梅雨状態。毎年のことだが、5月末から6月に入ると、ビワの実が競うように熟れ始める。当然のことながら、ビワの品種によって実が熟れる時期は異なるのだが、今シーズンは4月、5月にかけて極端に雨が少なかった故だろうか、実が太らずに熟れ始めてしまった。余りこの言葉は使いたくないが、早熟のビワが誕生してしまったのである。

 いやいや、ビワばかりではない、梅の実もプラムも早熟で例年の3分の2くらいの大きさ。ただし、味の方は日照りの影響でかなり濃い味がする。しかし、困るのは毎年恒例のように友人たちに賞味して頂いていたのだが、収穫量が半減してしまったので大弱り。生の果実と、ジャムを作っていたけれどその量も今年は半減。が、その分、細君の労働も少なくなったので、逆に良かったのかもしれない。

 そんな訳で、毎年今の時期は、家の中に居ても庭に出ても湿気が多い。早く梅雨が明けぬものかと、日々願っていた。家は高床式の平屋にしたのだが、その理由は敷地が田んぼだったことにある。長雨になると、庭全体がぬかるみ始末に負えなかった。現在、家が建っている場所は、父の終の住処の跡である。父の住まいは床が低かったこともあり、梅雨の時期は家中がカビだらけになっていた。長雨が続くと、蟻も避難するのだろう、小蟻が部屋の中に群がっていたことを思い出す。そんなことで、基礎を高くして家の半分近くを高床に設(しつら)えた。

 それでも、梅雨になると低い部分にはカビが生えたりナメクジの仲間のようなものが這(は)い回る。家屋の下の部分を半地下にして、ワインセラーを設けたのだが、白木の棚には粘菌のようなシミが大量に発生。また、犬を連れて家の裏側にある原生林を散策する楽しみがある。森にはタブの大木が茂っており、いつの季節でもキノコなのか粘菌の胞子なのか、不思議な生物を見かける。生物学者で明治から昭和にかけて奇行癖でその名を轟(とどろ)かせた、南方熊楠(みなかたくまぐす)大先生ならば欣喜雀躍をしながら、何日でも能古の山を徘徊し続けたに相違ない。

 実は、この熊楠先生に僕は貰(もら)い物をしている。と申しても、僕がこの世に生まれる2年前の1942(昭和17)年の12月に氏は他界されている。山の中を裸で駆け巡っていたという熊楠先生に魅せられた、舞踏家の田中泯(みん)氏は1985(昭和60)年頃に和歌山県田辺市を訪れて、詳細に熊楠の人物像を取材していたようだ。この時、舞踏家は熊楠先生が日頃より世話になっていたお宅に伺い、数日の時を過ごされたという。その直後、僕もこのお宅を訪れ馳走になったのだが、この時庭の大木の木肌に美しいセッコクが咲いているのを見つけた。

 その時、お婆さんが「あの蘭は、熊楠先生が山から持って来られて、あそこに植えられたんです。いつの間にか増えて、見事な花でしょう。よかったら梯子(はしご)をかけて、株をお持ちなさい」。そう言われて断る理由はない、早速一株分けて頂き東京の家に持ち帰り柿の木に定植。数年は容易に咲いてはくれなかったが、5、6年経つと環境に馴染んだものか、美しい白い花を咲かせるようになった。セッコクは山野に咲き乱れる花だから、放ったらかしの状態にしていたが枯れはしなかった。が、木に着生させた訳ではないので、鉢の中の根が少しづつ腐り始めて勢いがなくなった。

 ある日その状態に気付き、慌てて園芸店に持ち込んで応急処置というか、プロに植え替えて貰った。その処置が功を奏したのか、翌年からセッコクは少しづつ蘇生。そして、福岡の能古島に移住。勿論(もちろん)、家財道具と一緒に、熊楠先生の形見分けも大切に引っ越し荷物の中へ。能古の新居に到着後、庭にホルトノキというヤマモモの種類の大木があり、そこに直接着生させようかと考えた。が、かなり日当たりの良い場所なので、苔のような植物もない。熊楠先生は、風通しの良い日陰を選び、セッコクが好むような環境を作りなさい、と仰言っているような気がした。と、どうだろう、能古の海風が故郷に似ていたのか、年々株を増やして3倍ほどに。空梅雨などはものともせず、美しい白い花を咲かせて老夫婦二人を和ませてくれている。合掌。

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【プロフィル】だん・たろう

 1943年、作家・檀一雄氏の長男として東京に生まれる。CFプロデューサー、エッセイストとして活躍し、「新・檀流クッキング」などの著書多数。妹は女優の檀ふみさん。

最終更新:6/17(土) 7:55
産経新聞