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<放影研謝罪へ>被爆者、消えぬ心の傷 「反省生かして」

6/17(土) 13:40配信

毎日新聞

 「反省を生かして研究を」「不信感は消えない」。設立当初、被爆者の治療を原則行わずに研究対象としてのみ扱う姿勢が批判を受けた米原爆傷害調査委員会(ABCC、現・放射線影響研究所、広島・長崎両市)。そのトップが初めて公の場で被爆者に謝罪することに、被爆者の中には長年の研究に理解を示して謝罪を前向きにとらえる人がいる一方、根強い不信感を拭えない人もいる。

 生後8カ月の時に広島で被爆した近藤紘子さん(72)=兵庫県三木市=は、小学校低学年から中学生まで年に1、2度、身体検査のためABCCに連れて行かれた。用意されたふんどしのような下着にガウンを羽織った姿で診察室を幾つも回らされ、採血や身長、体重の測定を受けた。

 特に思春期の中学時代に負った心の傷は消えない。大勢の医師らが待つ講堂の舞台に立たされ、ガウンを脱ぐよう指示された。助けを求めて通訳者の方を見たが相手にされず、悔し涙を流した。ただ、1986年に起きた旧ソ連のチェルノブイリ原発事故後、ABCCの元関係者から「日本の被爆者データは事故での救済に使われている」と聞き、「自分が何かの役に立った」と少しだけ救われた。

 放射線が人体に及ぼす影響は当時誰にも分からず、被爆者が研究に使われたのは仕方がない部分もあるとも思う。だが「もっと配慮した調査手法もあったはずで、収集したデータがどう活用されたかの説明もなかった。反省を今後の研究に生かしてほしい」と話す。

 吉岡幸雄さん(87)=広島市南区=も18歳の頃、診察室で全裸にされ日本人の男性スタッフに指を肛門に突っ込まれた。前立腺を調べる触診で、不快感ばかりが残った。約1カ月後に「肺浸潤」との検査結果を知らされただけで、「人権が無視された」との怒りは収まらなかった。母が亡くなった時も献体を求められた。だが「あんた方に渡さん」と怒鳴り上げた。

 吉岡さんは過去を振り返って謝罪し、今後につなげようとする丹羽太貫(おおつら)理事長(73)の姿勢は評価する。だが「組織が被爆者に誠実に向き合ってこなかった不信感はすぐには消えない」。

 ABCCの一部の医師は、組織の方針に反して非公式に被爆者治療をしたとの証言もある。設立2年後から医師として勤務した玉垣秀也さん(94)=同市佐伯区=によると、50年代には治療用ベッド13床を備えた診療所が作られ、白血病や心臓病など重症者を入院させた。新生児の健康状態を調べるため、1日2軒ほど家庭も回った。謝礼に外国製のせっけんとタオルを渡すと喜ばれたが、「爆弾を落とした国に診てもらうなんて、もってのほかだ」と怒鳴られたこともあった。

 玉垣さんは「被爆者がABCCのやり方に違和感を抱くのは理解できるが、自分も被爆者の役に立っているという実感はあった。世界に類を見ない研究ができたことには感謝しかない」と複雑な心境を語った。【山田尚弘】

最終更新:6/17(土) 15:47
毎日新聞