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2000安打達成者に見たそれぞれのドラマ 投手から打者転向志願、イチローとの因縁…  

6/17(土) 15:00配信

産経新聞

 中日22年目のベテラン、荒木雅博内野手(39)が6月3日、史上48人目となる通算2000安打を達成した。ここまでの通算本塁打数33は歴代の到達者では最少で、入団5年目まではわずか15安打だった男の偉業達成は、本人が「守備や走塁でここまできた」と語るように巧みなグラブさばきと脚力でレギュラーをつかみ取り、バットでもこつこつと成果を積み重ねてきた結果だった。過去の2000安打達成者にもさまざまなドラマがあった。

 2006年5月11日に2000安打を放った横浜(現DeNA)の石井琢朗(たくろう)内野手(46)=広島打撃コーチ=は投手としてドラフト外で入団。1年目の1989年に1勝を挙げたものの、その後は結果が出ず、3年目の91年オフに当時の須藤豊監督(80)へ「投手としてもう限界です」と自分から野手転向を申し出た。

 「限界とは何だ! 本当に燃え尽きたのか」。その場で激怒した須藤監督だったが、翌92年の開幕後まもなく石井を三塁手として先発起用。2000安打への道が開けた。

 実は指揮官は石井の打者としての才能を認めており、怒鳴ったのは本人の覚悟を確かめるためだったと後から人づてに聞いた。「須藤さんの器の大きさがなかったら、今の僕があったかどうか」と石井は記録達成時に感謝した。

 ちなみに投手として勝利し、2000安打も達成したコンバートの成功例は石井の他には打撃の神様こと、巨人の川上哲治(2013年、93歳で死去)だけだ。

 12年4月28日に記録を樹立した日本ハムの稲葉篤紀(あつのり)外野手(44)は、愛知・中京高(中京大中京)の1年だった1988年、自宅近くのバッティングセンター(愛知県豊山町)で練習中、隣で球速120キロのマシンを打ちまくる中学生に刺激を受けた。後のイチロー(43)=マーリンズ=だった。

 2年後の90年夏の愛知予選決勝で稲葉はイチローの愛工大名電高に敗れ、涙をのむ。稲葉はイチローが渡米後もテレビの大リーグ中継で打撃フォームの進化などをチェック。「常に気になる存在」だった1歳下の天才打者はヤクルトと日本ハムで安打を重ねた稲葉にとって心のライバルであり、励みでもあったのだ。

 2013年7月26日に楽天の田中将大(現ヤンキース)から本塁打を放ち、日米通算での記録を達成したロッテの井口資仁(ただひと)内野手(42)。青学大では東都大学リーグ新記録の通算24本塁打を放ち、97年にダイエー(ソフトバンク)入りしたが、伸び悩んだ。

 飛躍のきっかけは2001年に獲得した盗塁王タイトル(44)だった。「何としても出塁したい」という気持ちが打力向上につながったうえ、「出塁して次の打者に対する投球を観察していると、どんなボールが来るかといった配球や投手のクセも分かるようになった」と多くのプラスアルファを得た。

 21年目を迎えたベテランは今季もロッテでいぶし銀の活躍を見せている。(浦)

最終更新:6/17(土) 15:00
産経新聞

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