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森健さんが衝撃を受けた「宅急便の父」の知られざる私人としての人物像

6/17(土) 12:02配信

スポーツ報知

森健著「小倉昌男 祈りと経営 ヤマト『宅急便の父』が闘っていたもの」

 第1回大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞の受賞作となったジャーナリスト・森健さん(49)の「小倉昌男 祈りと経営 ヤマト『宅急便の父』が闘っていたもの」(小学館、1728円)は、人物ノンフィクションの醍醐味(だいごみ)を余すところなく味わえる傑作だ。個人宅配という市場を切り開いたヤマト運輸の名経営者は、現役引退後には私財46億円を投じて「ヤマト福祉財団」を創設し、晩年を障害者福祉にささげた。それには、今まで語られてこなかった理由があった。(甲斐 毅彦)

 森さんが取材を始める以前から小倉昌男氏(2005年6月30日、80歳で死去)の著者や刊行物は数多く存在していた。「サービスが先、利益は後」という理念を貫いた名経営者、運輸行政のガチガチの規制と闘い、国民の利便向上のためなら行政訴訟をも辞さなかった闘士…というのが一般的な世評。だが、1998年に小倉氏をインタビューした経験がある森さんは、従来の人物評との違和感を感じ続けていたという。

 「財団の中の狭くて質素な部屋でお会いした時は、闘士というよりは、高潔なエリートという印象がありました。そして、なんで障害者福祉の道を選んだのかな、と。クリスチャン(プロテスタントからカトリックに改宗)だったので、宗教的な信心深さが障害者問題と結びついたのかな、という仮説で取材を始めたんですけど、小倉さんとつながっていた方々から話を聞き出したら全然違うことばかりが出てきたんです」

「偉人伝です」と説得

 当初、ヤマトホールディングスの広報を通じての正面からの取材は断られた。小倉氏の側近だった人物宛てに手紙をわざわざ宅急便で送ったりしてみてもダメだったという。突破口が開けたのは、経営陣とは関係のない、小倉氏個人の人とのつながりに行き当たった時だった。経営者としてではなく、私人としての知られざる人物像が浮かび上がってきた。

 「会う人が皆、『この人にも会うといい』と別の人も紹介してくれるんです。小倉さんがいかに多くの人に愛されていたかということなんですね。ちょっと大げさに言うと、経営とは別にパーソナルなつながりで『俺こそが小倉さんの忠臣』みたいな感じで語りたがる人がいっぱいいた。会社も取材に応じてくれていたら、それに引きずられて全然違う本になっていたかもしれません」

 取材して絞られてきたテーマは、小倉氏が晩年、私財全てを障害者福祉に投じた真意だ。取材が進むにつれ、名経営者である一方、妻と子を抱える者として苦悩していた「ダメなお父さんぶり」も垣間見えてくる。徐々に謎が解明されていく過程には、まるで推理小説を読むような醍醐味もある。作品で描く上で不可欠だった日記やメモなどの膨大なプライベートな資料は、関係者を説得しなければ入手できるものではなかった。

 「取材時には小倉さんが亡くなってほぼ10年たっていました。(説得は)『もう歴史なんです』『偉人伝ですから』みたいに…。話したいけど話せない時期とか心境ってあると思うんです。10年というのはいろんなことを切り離して対象化できる時間だったなと思います」

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最終更新:6/17(土) 12:02
スポーツ報知