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平和の尊さ伝えたい 養秀同窓会、一中学徒の遺書修復

6/18(日) 6:30配信

琉球新報

 沖縄戦で鉄血勤皇隊・通信隊として動員された県立第一中学校の元学徒たちの遺書を後世に残したいと、同校と首里高の卒業生らで構成する養秀同窓会(大田朝章会長)が修復事業を始めている。遺書など約100点の遺品は1947年に土中から掘り起こされ、一部を那覇市首里金城町の養秀会館で保管している。何点かは館内の「一中学徒隊資料展示室」で展示してきたが劣化が激しく、触ると崩れそうな物もある。
 養秀同窓会事務局は「戦争を知らない世代に平和の尊さを伝えるため、学徒たちの遺書を“戦争遺産”として残したい」と話す。
 封筒や遺書はカビやダニによる劣化が激しく、紙は赤茶けて虫食いの穴も多い。遺髪や爪が朽ちた紙と一体化した物も。文字が見えなくなった遺書も多いが、封筒には校名が記されているのが確認できる。
 これらの遺書は14~17歳の一中生が1945年春、戦火が迫る状況下で家族に宛ててしたため、髪の毛や爪などと一緒に提出した遺書の一部。同校職員が持って逃げていたが、「もうこれ以上、持ち歩いては行動できない」と判断し、二つのかめに入れて現豊見城市保栄茂の土中に埋めた。
 終戦から2年後に元学徒らが掘り起こしたが、一つは浸水して中の遺書は既にボロボロの状態だったという。もう一つの中にあった遺書や卒業証書を回収し、一部は遺族に返却。遺族が分からない物や厚意で提供された遺書の一部を、養秀会館で保管してきた。
 養秀同窓会は2016年夏、古文書などの修復技術がある市内の業者に修復を依頼した。これまでに約140万円の予算を計上し、修復とレプリカ制作を進めてきた。当初は約1年で完了予定だったが開封すると中から別の包みが出てくるなど点数が増え、劣化も想定以上に進んでいたため、修復できたのは15点ほど。経費もかさみ「本年度も20点修復できるかどうか」という。
 太田幸子副会長は「一中健児之塔や刻銘碑がそばにある養秀会館に遺書を残し、平和教育に生かしたい。何とかして修復したい」と願う。同会は近く、県民に修復費用の協力や、個人で所有する遺書の寄贈などを呼び掛ける考えだ。問い合わせは同会館(電話)098(885)6437まで。(佐藤ひろこ)

琉球新報社

最終更新:6/18(日) 6:30
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