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「強い巨人」V9時代に思いを馳せる

6/18(日) 16:45配信

東スポWeb

【越智正典「ネット裏」】巨人。13連敗で止まったと思ったら次の試合にまた負けた。弱い。私はV9前夜からV9への巨人の男たちを改めて思い浮かべている。

 川上哲治、千葉茂、別所毅彦ら…巨人軍第2期黄金時代が終わりに近づいていた1956年暮、この年の夏、第27回都市対抗大会で黒獅子旗の日本石油の優勝投手、橋戸賞の藤田元司は巨人と契約を済ませると、日本石油に監督増山桂一郎を訪ねた。増山は元気だったとき、会うといつも「藤田が巨人と契約した日に、その足でグラウンドを貸してくださいと頼みに来たんです。背中に寒気が走るほどの、藤田の凄いピッチングが巨人でも続いたのは翌日から走りに走ったからです」。1月10日に、多摩川に集まる日に備えて、その前にたったひとりで“キャンプ”をやっていたのである。彼は淡路島の洲本での巨人の第1次キャンプが終わる頃には疲れが抜け、むしろ体が楽になっていた。

 入団第1年、新人王。マウンドを死守し、第3期黄金時代、ON時代にバトンタッチした。試合開始が近づき、ベンチに入るときにはアンダーシャツを1枚しか持って行かなかった。毎日鍛えていたから汗をかかなかったのだ。試合中、シャツを着替えることはなかった。

 今年の1月18日、横浜での全日本大学野球の監督会で国際武道大監督岩井美樹に会ったとき、この爽やかな男の話に驚かされた。彼は藤田の長女結花さんと結婚している。

「暮に片付けをしていたら、お父さんの本がゴソッと出てきました。びっくりしました。12月分、1月分と区分して束ねられていました。オフにこんなにたくさん本を読んで勉強していたんですね」

 V9の名捕手森祇晶はキャンプ中にブルペンで構えたとき、ミットの位置は必ず低かった。故障から再起の投手の球が緩くても外れても、外角低めに来ると「ナイスボール!」。彼の野球である。外国人選手に第1球を本塁打されたことはない。

 岐阜高から入団したのは55年。キャンプでは二軍の宮崎県串間。開幕後、認められて一軍の練習手伝いに後楽園球場へ。居残りでブルペン捕手。当時後楽園のブルペンは一塁側内野席前でベンチ寄りにマウンド。森からは三塁側の相手ベンチの動き、監督の采配がよく見えた。彼はこの時代から野球ノートを書き続けた。投打の対戦、配球、結果を書いていた男は他にもいたが、森はそれだけではなかった。天候、気温、川上監督の訓示、その日の故障者、原因、遠征宿の食事の献立までも記録していた。いつ眠っていたのだろうか。

 V9の名捕手になり、西武の名監督になるのである。監督室には国語辞典、英和辞典。西武の監督として、リーグ優勝8回、日本シリーズ制勝6回。リーグ優勝、日本シリーズ優勝、V9を含めて各11回の川上に次ぐ。=敬称略=(スポーツジャーナリスト)

最終更新:6/18(日) 16:45
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