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「菓子屋は世界一幸せな仕事」 パティシエ・鎧塚俊彦が語る、スイーツへのこだわりと妻・川島なお美

6/18(日) 20:00配信

AbemaTIMES

 日本のスイーツ業界で、最も有名なパティシエの1人として名前があがるのが鎧塚俊彦氏(51)だ。自らの名前を冠した「トシ・ヨロイヅカ」のオーナーシェフを務める。

 まだパティシエという職業があまり知られていなかった時代に、単身ヨーロッパに渡り修行。権威ある賞を受賞し、世界に注目され、日本人パティシエの先駆者となった。さらに、女優・川島なお美さんとの結婚、なお美さんの死去。仕事、プライベートともに激動の人生を歩んできた鎧塚氏が、自身の軌跡とスイーツへのこだわりを語った。

宝石のようにきれいなケーキは嫌い

 1965年に京都府に生まれた鎧塚氏。祖父も父も家具職人という職人一家で、子どもの頃から大学に行くという選択肢はなかったという。鎧塚氏は、「高校生くらいになってフランス料理をテレビで見て、ああいうものは社長にならないと食べられるものじゃない、でも自分が社長になるなんて思ってもいない。でも、どうしても食べたい。そうすると作る方に回るしかない」と、料理人を志した経緯を語る。製菓の専門学校を経てホテルのレストランに就職したのち、スイーツの新たな可能性を求めてヨーロッパへ渡った。

 鎧塚氏は、「この世界に入ったときから、いずれはヨーロッパで修行してみたいと思っていた」と、当時を振り返る。ツテがないなか、講習会で東京に来たスイスのシェフに助手で付いたところ、シェフから「来るか」という話をもらい、29歳でスイスのシャッハウゼンに渡った。

 意気込んで渡ったスイスだが、まず言語の壁にぶち当たる。「フランス語は自分なりに勉強していたんです。しかし、スイスの公用語はドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語で、6割がドイツ語。周り全員ドイツ語ばっかりなんです。全然わかんない。日本からすぐ辞書を送ってもらって、そこからでした」と、鎧塚氏は話す。

 さらに、日本人は労働ビザが取れないことを知り、3カ月以内に日本に帰らなければならない状況のなか、ビザを取るための算段を考えた。鎧塚氏は、「トシ・マンデルクローネが爆発的に売れましたが、売れたことよりも、毎日仕事終わった後にどうしたらいいのかと悩んで、その努力を見てくださっていたオーナーが、『何としてでも』ということでビザを取ってくれた」と、ビザ取得の経緯を語った。

 鎧塚氏は、ビザが取れるまで“華やかな”ケーキを作っていたという。「シャッハウゼンという田舎町で、お客さんがワーワーと集まって『すごいぞ』と。僕もどんどんエスカレートして、コンクールのような飴細工も乗せて。お客さんはさらに『すごい』と言うけど、通り過ぎていくんです。美しいとは思っても食べてみたいとは思わない。宝石のようにきれいなケーキって嫌いなんです。“美しい”の後に“食べてみたい”がこないとダメ。そうして、試行錯誤して生まれたのが『トシ・マンデルクローネ』。お店に並べたところ、すごく売れました」と、代表作が生まれた経緯を語った。

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最終更新:6/19(月) 14:22
AbemaTIMES