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酒豪番付では“東小結” 志垣太郎が語る勝新太郎との思い出

6/19(月) 9:26配信

日刊ゲンダイDIGITAL

 今から40年以上前、週刊誌が「酒豪番付」を作成していた時代。横綱は酒豪としても鳴らした大スターの勝新太郎や石原裕次郎がバリバリだった頃に、東小結に番付されたのがまだ20代そこそこの志垣太郎さん(65)。その酒豪伝説を。

 ◇  ◇  ◇

 当時はいったん飲み出したら1日3本。ビールじゃないよ。ジン、ウオツカ、日本酒……、お酒なら何でもボトルで3本は空けていたね。

 今と違ってあの頃はみんな仕事が終わるとお酒を飲んでワイワイやっていましたね。とくに僕はスタッフと飲むのが好きで、現場の後片付けが終わるまで待っていたくらい。飲み始めはだいたい撮影所のスタッフルーム。みんな時間もお金もなかったのでなかなか飲みに行けない。だから、監督が冷蔵庫に用意してくれているビールや日本酒を飲んでいた。

 僕の出番が早く終わった時には先にひとりで撮影所の近所の焼き鳥屋で飲んで待ちました。今みたいに携帯電話とかがないから、ちょくちょく様子をうかがいに戻って、助監督に何時くらいに終わりそうか聞くわけですよ。で、「あと30分くらい」と言われたら、焼き鳥屋に戻ってそこの親方に50本くらい、差し入れ用に焼いてもらう。そこから終電に間に合う時間まで約2、3時間、スタッフルームで飲んだ後、帰る人は電車。僕を含めた帰らない人は朝まで飲みに行くわけです。高級クラブなんかじゃなく、安い赤提灯みたいな飲み屋です。で、気がつくと3本くらい飲んでいました(笑い)。

■勝新太郎さんが「1本おごってやる」

 そうやって飲んでいたおかげで、スタッフや子役の頃から憧れていたスターの方々に可愛がっていただきました。漫画家の上村一夫さん、憧れの沢田研二さん、俳優の佐藤允さん……。尊敬していた勝新太郎さんもそのひとりです。ある舞台で中村玉緒さんとご一緒した時に、勝さんが見に来られました。

 その夜、勝さんが役者やスタッフ60人くらいを有名料亭に招待してくれたんです。「今日は玉緒が世話になりました」って。僕はまだ坊やだったし、2次会には呼んでもらえないかなと思っていたら、「おい、おまえも来い」って言ってもらえて、朝までご一緒しました。ある時、勝さんから、「1本おごってやる」と宿泊しているホテルに呼ばれたこともありました。

 フロントで「いる?」と聞くと名前も言わないのに「いますよ」と。フロントが勝さんの部屋に電話で「志垣さん、到着しました」と電話すると「俺の部屋に来い」。部屋に行くと勝さんがブランデーを水のように飲んでいる。だから、こっちも負けずに飲みました、水のようにゴクゴクと。

■最高記録は3時間で日本酒4升半

 僕があまりに底なしに飲むので、ある時「どこまで飲めるかやってみよう」と、友人に見届け人を引き受けてもらって日本酒を飲み続けてみました。ぐいぐいぐいぐい3時間で4升半飲んだら、まだ酔っていないのにお腹がいっぱいになってやめました(笑い)。それが自己最高記録だと思います。

 30歳くらいまではそうやって楽しく飲んだくれていましたが、女房(白坂紀子=女優)と出会ってから、そんな飲み方はスッパリやめました。今も毎日飲みますが、ワインのミニボトル1本。食事しながら女房についでもらって家飲みです。

 結婚後に大酒を飲んだのは森繁(久弥)先生の舞台の座員の時だけ。森繁先生へのお祝いで優勝力士が使うような漆塗りの大杯が届いた時、「誰がこれで飲むんだ?」と聞かれ、周りが「太郎以外にいません」と。先生も「いけ!」と言うので大杯に一升瓶のお酒をついで、先生の前でゴクゴクと飲み干して、「先生、最高の器でございます」(笑い)。

 今、思い返しても若い時の勢いで飲み続けていたら、僕は50歳くらいで野垂れ死んでいたと思います。今も元気で楽しくいられるのは本当に女房のおかげです。