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遺族の悲しみと憤り今も 京都、青酸連続殺害26日初公判

6/19(月) 9:10配信

京都新聞

 青酸連続殺人事件で、被害者の京都府向日市の筧勇夫さん=当時(75)=の親族の男性が今月26日の初公判を前に、京都新聞社の取材に答えた。勇夫さんを突然失った悲しみと筧千佐子被告(70)への憤りは3年半たった今もあせることなく脳裏を駆け巡る。「本当のことを話してほしい」。複雑な思いを抱えながらも、公判での真相究明に期待を寄せている。
 「心臓がつかまれるような思いだった」。年の瀬も押し迫った2013年12月29日夕。向日町署からの一本の電話は勇夫さんが亡くなったことを告げた。「警察からかかってくるということは事故とか事件とかしかないでしょう」
 親族の男性はその電話が忘れられない。亡くなったと言われただけで、事故か自殺か聞いても何も分からなかった。翌年1月半ばに警察からの聴取で初めて「毒で亡くなったのかもしれない」と聞かされた。
 勇夫さんは5人きょうだいの次男。滋賀県・湖北の自然豊かな環境で育った。地元の県立高から名古屋のの短大を卒業し、電機メーカーに就職。「本当に仕事一筋。ガリ勉で仕事人間だからだまされたのかも」と別の親族女性は話した。親族男性も勇夫さんも子育てや仕事に忙しい日々だったが、定年を迎えてゆとりも生まれた。年数回会ったり、京都に行き勇夫さんと名所や温泉を巡ったりもした。死の直前には「俺は100歳まで生きるから面倒も見てやるぞ」と、うれしそうに語ったという。
 「本人は幸せの絶頂だったのに自殺する訳がない。なぜ12月28日に死なないといけなかったのか」。今も疑問は消えない。正月には勇夫さんの年賀状がきょうだいら親族の元に届いた。「元気で今年もよろしく」と、添えてあったという。
 千佐子被告とはきょうだいら近い身内だけが集まった葬式で初めて会った。結婚したことも知らされていなかった。死んだ理由を何度尋ねてもはぐらかされた。死の1週間後には「家に金目のものがない」と千佐子被告から電話があり、印鑑証明や戸籍謄本を求められた。何度も断ったが食い下がられたという。
 「勇夫はいまさら生き返るものではない。それでもどうか裁判がスムーズに終わり、事件が解決されてほしい」。事件後、報道関係者の取材が相次ぎ、静かな老後は一変した。近所でも好奇の目にさらされ、「残された者も生き地獄だ」。
 親族には千佐子被告から勇夫さんの遺産をめぐって提訴された人もいる。正直な気持ちは「もう関わりたくない」。法廷には行かないつもりだ。それでも願っている。「今までしたことを反省して本当のことを話してほしい。それだけが遺族として望むことだ」

最終更新:6/19(月) 9:32
京都新聞