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沖縄で空襲犠牲の朝鮮人、本部に埋葬 戦闘動員、未収骨か

6/19(月) 8:30配信

琉球新報

 1945年1月22日、本部町沿岸で日本軍の輸送船「彦山丸」が空襲を受け、戦闘に動員された朝鮮人を含む、少なくとも14人の陸軍軍属らが亡くなり、同町健堅に埋葬されていたことが18日までに分かった。沖縄戦開戦直後に米雑誌で掲載された写真や朝鮮人の死亡者名簿、日本軍作成の資料で明らかとなった。県戦没者遺骨収集情報センターには、埋葬地から遺骨が収集された公的な記録は残っていない。沖縄戦に動員された朝鮮人は戦後、生死の確認がなされず、沖縄戦での戦死を証明する公的書類が遺族に届いていない場合が多い。今回、埋葬地が明らかとなったことで遺骨調査などに発展する可能性もある。


 45年5月28日号の米雑誌「LIFE」には「空襲によって殺された」として墓標が14本並んだ写真が掲載された。写真には墓標の脇に米軍とみられる兵士が立ち、奥には瀬底島が写る。

 墓標に記載された名前のうち、強制動員された朝鮮人の死亡者名簿をまとめた「戦時朝鮮人強制労働調査資料集(竹内康人氏編著)」によると、「金山萬斗」「明村長模」の2人は45年1月22日に「彦山丸」で戦死したとされている。「半田充祇」は1月22日に死亡した記録は残るが、死亡した経緯は記されていない。

 旧日本軍の戦闘記録「独立混成第44旅団南西空襲戦闘詳報」(防衛研究所所蔵)によると、彦山丸は45年1月22日、敵機4機から銃撃や爆弾投下を受けた。さらに、救助に来た船も銃撃を加えられ、合計13人が亡くなった。

 遺体が埋葬された土地は本部町健堅で、戦時中は漁師の我部政良さんの土地だった。我部さんの長男で山梨学院大学名誉教授の我部政男さん(78)は「未収骨の可能性がある。歴史の証言として掘り返して検証することが必要だ」と指摘した。埋葬地の道向かいに住む中村英雄さん(88)は「戦後、遺骨が収集されたことは見たことがない」と証言した。

 沖縄戦に詳しい沖縄国際大の吉浜忍教授は取材に対し「1月22日の空襲の詳細は知られていない部分がある。特に名護湾で船舶が被害を受けていたことは、空襲が県内全域であったことを裏付ける事実だ」と語った。(池田哲平)

琉球新報社

最終更新:6/19(月) 9:58
琉球新報

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